園芸を知るバックグラウンドとして、知っておきたいのが、基本的な地域・風土の植生についての知識です。
潜在植生と現状植生
実際にそれぞれの地域(国、県、市町村)などの植生は、現在の植生をただ調査するだけでは、植生における「現状植生」という側面だけを理解することになります。
当然、人為的な都市開発やその他の要因で植生は変化し、現在の状態になっているため、その「今」だけを知るのでは、その風土の歴史的な背景や変遷を理解し、園芸文化を理解することは難しくなります。その風土の自然環境などのいきなりは変化しない要因を理解し、その土地の「潜在植生」を理解してこそ、「人による変化と変遷」という時間的な流れと変化を類推でき、空間・時間的な全体像を把握することができるようになります。
当然、その意味では、地域の外からの要因としての「帰化植物」も重要なファクターとして、欠かせない研究モチーフとなります。
このサイトのセミナーでは、こうした「潜在植生」を理解するために宮脇昭氏の「鎮守の森」を基本テキストに選定しています。
詳細は、テキスト講義に譲るとして、ここでは、このテキストからの一部を以下に転載して、その考え方の基本をご紹介します。
宮脇氏は、このテキストの「ふるさとの木によるふるさとの森」という章で、以下のように語っています。
<「鎮守の森」より、転載>
ひとくちに日本の森といっても地域や土地の条件によってさまざまである、広域的には温度要因によって規定されている。(中略)
いずれにしても、日本の森は、条件のよい土地本来のところは、広葉樹林、少しきびしいところには競争力は弱いが乾きすぎたり、湿り過ぎるような極端な立地で我慢できる針葉樹林が、局地的に不連続に自生していた。
しかし、人類が、本格的に火を使うようになった1〜2万年前頃からは、森と対決し、さらに農耕が進み文明が発達した現代では、かつて人類の生活に邪魔であった森林とくに土地本来の森はほとんど失われてしまっている。
今まわりにあるスギ、ヒノキ林のほとんどすべては、木材生産など経済的な目的で植えたものである。マツは海岸のクロマツ林のように植林したものがあるが、アカマツ林のほとんどは様々な人間活動によって土地本来の森が失われた後に二次的に生育している樹林である。
また今管理が行われなくなって、荒れていると嘆かれている里山の雑木林も、前にふれたように土地本来の森からはかけ離れた、二次林すなわち遷移の途中相の樹林である。
<転載、以上>
そして、さらに日本独自の森という自然に対してきた傾向として、鎮守の森に着目した理由を以下のように述べられています。
<「鎮守の森」より、転載>
日本において特徴的なことは、我々の祖先は、自然の開発、古くには森の火入れによる焼畑、伐採による水田、畑、道路、集落、町、都市づくりに際して、いわゆる皆殺しをしなかったことである。
新しい集落や町づくりに際して、一方においては自然の森を破壊して、農耕地をつくり、薪炭林(しんたんりん)としての二次林もつくってきた。スギ、ヒノキ、マツなどの、建築材のための造林も行ってきた。しかし他方においては、必ず土地本来のふるさとの木によるふるさとの森を残してきている。
それが、日本列島各地の神社やお寺や、古い屋敷、山の尾根、急斜面、渓谷沿いに今なお残されている土地本来の森であり、国際的にも、今そのまま言葉が使われている「鎮守の森」である。
<転載、以上>
そして、「生物多様性」という視点から、この「鎮守の森」という土地本来の森のダイナミズムへの理解の重要性を「ダイナミックに安定し持続するシステム」という項の中で以下のように述べられています。
<「鎮守の森」より、転載>
鎮守の森とは、実は最もダイナミックに安定した一つの森社会である。
そこでは、高木、亜高木、低木、下草、土の中のミミズやカビ、バクテリアなど、また林縁にはマント群落、ソデ群落がその土地の地形、土壌条件の中で、限られた空間や養分の奪い合いをし、せめぎ合い互いに少しずつ我慢して共生している。
鎮守の森こそ、それぞれの地域の多様性のシンボルであり、その最も具体的な姿である。
<転載、以上>
そして、単層群落というのは極めて不安定で人為的な管理下でないと維持されないという現実を知らせてくれます。こうした植物世界の多様性を知った上で現実の植物・園芸と付き合っていくこと、その実相に人為的な要素を発見することが重要です。
その意味では、我々の廻りの自然は、全て変化させらたものも残されたものも人による「園芸」の結果といえるかもしれないのです。
<この項、了>
潜在植生と現状植生
実際にそれぞれの地域(国、県、市町村)などの植生は、現在の植生をただ調査するだけでは、植生における「現状植生」という側面だけを理解することになります。
当然、人為的な都市開発やその他の要因で植生は変化し、現在の状態になっているため、その「今」だけを知るのでは、その風土の歴史的な背景や変遷を理解し、園芸文化を理解することは難しくなります。その風土の自然環境などのいきなりは変化しない要因を理解し、その土地の「潜在植生」を理解してこそ、「人による変化と変遷」という時間的な流れと変化を類推でき、空間・時間的な全体像を把握することができるようになります。
当然、その意味では、地域の外からの要因としての「帰化植物」も重要なファクターとして、欠かせない研究モチーフとなります。
このサイトのセミナーでは、こうした「潜在植生」を理解するために宮脇昭氏の「鎮守の森」を基本テキストに選定しています。
詳細は、テキスト講義に譲るとして、ここでは、このテキストからの一部を以下に転載して、その考え方の基本をご紹介します。
宮脇氏は、このテキストの「ふるさとの木によるふるさとの森」という章で、以下のように語っています。
<「鎮守の森」より、転載>
ひとくちに日本の森といっても地域や土地の条件によってさまざまである、広域的には温度要因によって規定されている。(中略)
いずれにしても、日本の森は、条件のよい土地本来のところは、広葉樹林、少しきびしいところには競争力は弱いが乾きすぎたり、湿り過ぎるような極端な立地で我慢できる針葉樹林が、局地的に不連続に自生していた。
しかし、人類が、本格的に火を使うようになった1〜2万年前頃からは、森と対決し、さらに農耕が進み文明が発達した現代では、かつて人類の生活に邪魔であった森林とくに土地本来の森はほとんど失われてしまっている。
今まわりにあるスギ、ヒノキ林のほとんどすべては、木材生産など経済的な目的で植えたものである。マツは海岸のクロマツ林のように植林したものがあるが、アカマツ林のほとんどは様々な人間活動によって土地本来の森が失われた後に二次的に生育している樹林である。
また今管理が行われなくなって、荒れていると嘆かれている里山の雑木林も、前にふれたように土地本来の森からはかけ離れた、二次林すなわち遷移の途中相の樹林である。
<転載、以上>
そして、さらに日本独自の森という自然に対してきた傾向として、鎮守の森に着目した理由を以下のように述べられています。
<「鎮守の森」より、転載>
日本において特徴的なことは、我々の祖先は、自然の開発、古くには森の火入れによる焼畑、伐採による水田、畑、道路、集落、町、都市づくりに際して、いわゆる皆殺しをしなかったことである。
新しい集落や町づくりに際して、一方においては自然の森を破壊して、農耕地をつくり、薪炭林(しんたんりん)としての二次林もつくってきた。スギ、ヒノキ、マツなどの、建築材のための造林も行ってきた。しかし他方においては、必ず土地本来のふるさとの木によるふるさとの森を残してきている。
それが、日本列島各地の神社やお寺や、古い屋敷、山の尾根、急斜面、渓谷沿いに今なお残されている土地本来の森であり、国際的にも、今そのまま言葉が使われている「鎮守の森」である。
<転載、以上>
そして、「生物多様性」という視点から、この「鎮守の森」という土地本来の森のダイナミズムへの理解の重要性を「ダイナミックに安定し持続するシステム」という項の中で以下のように述べられています。
<「鎮守の森」より、転載>
鎮守の森とは、実は最もダイナミックに安定した一つの森社会である。
そこでは、高木、亜高木、低木、下草、土の中のミミズやカビ、バクテリアなど、また林縁にはマント群落、ソデ群落がその土地の地形、土壌条件の中で、限られた空間や養分の奪い合いをし、せめぎ合い互いに少しずつ我慢して共生している。
鎮守の森こそ、それぞれの地域の多様性のシンボルであり、その最も具体的な姿である。
<転載、以上>
そして、単層群落というのは極めて不安定で人為的な管理下でないと維持されないという現実を知らせてくれます。こうした植物世界の多様性を知った上で現実の植物・園芸と付き合っていくこと、その実相に人為的な要素を発見することが重要です。
その意味では、我々の廻りの自然は、全て変化させらたものも残されたものも人による「園芸」の結果といえるかもしれないのです。
<この項、了>
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