準備編で学んだ、その1の手法「植生調査報告から知る方法」をこの実践編の1では、具体的に学んでいきます。

1)第3回植生調査報告書から、読み解く

準備編で知った環境庁の植生調査報告書の第3回自然環境保全基礎調査1988年版(本サイトのダウンロードコーナーにも準備してあります)の小金井地域に関わる部分を以下に抽出して、分析していきます。

【区部・多摩地区の植生概要から】

この章では、別項目の小金井の地形で学んだ、小金井の地形に相当する項目を読み解きます。

具体的には、6頁の(2)洪積台地の項目がそれに相当します。武蔵野台地(段丘)とその下の立川段丘、それを分ける国分寺崖線となる崖斜面の部分の植生についての記述がそれです。以下に転載しておきます。

<転載、部分>

多摩地方の台地(武蔵野台地)は、早くから市街化が始まった地域で、現在も東部から西端部に向かって都市化が進行中である。植生の配分からみると、この台地上は、東半部と西半部に分けられる。

東半部はすでに大部分が市街化されている。しかし、古い街道沿いにはケヤキーシラカシ屋敷林や緑の多い住宅地が線状あるいは帯状に見られ、この地域の特徴的な景観を示している。台地上の典型的な二次林であるコナラークヌギ群集は大きく減少したが、市街地の中に点状、島状にやや高密度で残存している。残存する自然植生はきわめて少なく、段丘崖にシラカシ群集が断片的にみられるのみである。

西半部は現在市街化が急速に進行中であるが、まだコナラークヌギ群集や畑、茶畑、果樹園などがまとまって残されている所もあり、これらは古くから集落と一体となって、今もなお武蔵野の典型的な景観を形成している。

<転載、以上>

上記、記述は1988年(26年前)の報告書なので、現在の小金井は、ほとんどが東半部の傾向だと考えられます。

西半部で記述されている「コナラークヌギ群集や畑、茶畑、果樹園などがまとまって残されている」とされる植生は、人為的な二次林です。

実は、この地域には、中世まではカヤ場とよばれたススキやオギを中心とした草原が多かったと考えられています。こうした茅(カヤ)などは江戸初期までは、住居の屋根などをふくための重要な資源として、刈り取られ、この周囲ではなく、江戸に送られていたと思われます。
しかし、江戸初期に起こった明暦の大火などで多くの江戸の町が焼失した結果、茅を利用することが制限され、その需要は徐々に減っていきました。また、同時に江戸を焼け出された人々がこの地域(杉並などの五日市街道沿い)に移住したようです。こうした資材の運搬に街道が利用され、発展していったようです。

その結果、江戸時代中期のこうした人々やそれまでカヤ場管理していた人々による新田開発によって、カヤ場の一部は屋敷、畑、雑木林をセットとした短冊状の区割りが並んだ独特の景観に変えられたのです。このときの屋敷林を中心とした畑、果樹園がコナラークヌギ群集を形成しました。


こうした歴史は、本サイトの吉祥寺の井の頭恩賜公園の歴史を説明したこちらのコンテンツでもご覧いただけます。

【コナラークヌギ群集】

さらに報告書の凡例解説(14頁)にある、この地域の本来の自然植生だった「ヤブツバキクラス」の代償植生の「コナラークヌギ群集」についての記述を以下に転載しておきますので、その特徴を学んでください。この凡例を元に次項目の「植生図(マップデータ)」を読むと植生の分布がわかるようになると思います。


<転載部分>

コナラークヌギ群集は、都区内西部から多摩地区にかけての台地上や多摩丘陵、加住丘陵をはじめとする丘陵地に広く分布するコナラとクヌギを主体とする二次林群落である。

この群集は定期的な伐採や下刈り、落ち葉かきなどの強度の人為的干渉の下に維持されてきたためにその種組成や種の配分はかなり不均質であるが、クヌギ、スイカズラ、アマチャズル、シオデ、エノキなどを標徴種、識別種として他の群落と識別される。

この群集は、普通4つの階層から成っている。すなわち、高木層から亜高木層にかけては、コナラ、クヌギ、エゴノキ、ヤマザクラなどが多く見られる。低木層には、ガマズミ、カマツカ、イヌツゲ、サワフタギなどが多くみられるが、植被率は管理の程度によって差異が多い。
低木層から草本層にかけては、アズマネザサが優占することが多い。草本層は、植被率が高く、スイカズラ、アマチャズル、ヘクソカズラ、オノドコロなどのつる植物やチヂミザサ、タチツボスミレ、ノガリヤスなどが高常在度で出現する。

この群集は主として、関東ローム層に由来する黒ボクに被われた適潤で肥沃な立地に生育する。東京都での主要な生育地は、武蔵野台地と多摩丘陵、加住丘陵東半部などである。
分布域の上限は、ふつう海抜200メートルくらであるが、沢筋では300メートルぐらいにまで達することもある。しかし、この群集は都市化の進行と共に年々減少している。台地上では、まとまった広がりを示すものは、青梅市東部と武蔵村山氏三ツ木地区一帯、清瀬市周辺などに見られるだけである。一方丘陵地でも、ここ20年来の大規模な宅地開発によって、急速に蚕食化が進行している。

<転載、以上>

また、報告書では、13頁に記述されている特に古い街道沿い(小金井では、五日市街道)や段丘を結ぶ急斜面の崖(国分寺崖線、ハケの道周辺)の植生も以下に転載しておきますので、後述の植生分布データマップを見る際は、実際の調査時に参考にしてください。

<転載、部分>

【シラカシ群集とスジダイーヤブコウジ群集】

<シラカシ群集>

東端部を除く武蔵野台地から多摩丘陵、加住丘陵などの丘陵地をへて、山地下部の海抜400メートルぐらいまでを生育域とする群集である。東京都にはまとまった面積を持つものは、皆無で、残存するものはいずれも断片的なものばかりである。

シラカシ群集は、林冠型としては、ケヤキーシラカシ林、シラカシ林、モミーシラカシ(アラカシ)林の3つ大別される。この林冠型の違いに対応して組成の分化が見られ、ケヤキ亜群集、典型亜群集、モミ亜群集が認められる。植生図には群集レベルで図示してあるが、それらのうち丘陵脚部や段丘崖などに線状に残存するのがケヤキ亜群集、丘陵や山地の尾根筋、急斜面のものがモミ亜群集である。この2つの亜群集は断片的ながら、都内の各所にみられるが、典型亜群集(シラカシ林)の良好な残存林は極めて少なく、八王子別所などにわずかにみられるのみである。

<シラカシ・ケヤキ屋敷林>

武蔵野台地上の五日市街道、青梅街道、志木街道、甲州街道などの古い街道沿いには、ケヤキやシラカシを主とする屋敷林が多くみられる。これらの屋敷林は明らかに植栽起源のものであるが、長い時間の経過と共に自然植生のシラカシ群集に非常に近い組成、構造をもつようになっている。
東京都にみられるシラカシ林やケヤキーシラカシ林には自然生のものか植栽起源のものか明らかでない林分も多いが、前述の街道沿いの屋敷林のように植栽起源であることが明らかなものだけをこの凡例でしめした。

<スジダイーヤブコウジ群集>

スジダイーヤブコウジ群集は、都内では武蔵野台地東端部に生育域を持つが、残存するものは極めて少なく、自然生のものは武蔵野台地と沖積低地が接する段丘崖などにわずかに断片が見られるのみである。
一般に高木層(高さ18〜20m)にはスジダイが優占するほか、アカガシが高被度でみられる。亜高木層には、モチノキ、ヤブツバキ、シロダモなどが、低木層には、アオキ、ヤツデ、ヒサカキ、ネズミモチなどが多い。草本層には、ベニシダ、ジャノヒゲ、ヤブコウジ、キヅタ、ビネンカズラなどが生育しているが、高木層が常緑広葉樹でうっ閉されるため、林床は暗く全般に植被率は低い。
都内に生育するスジダイーヤブコウジ群集の主なものは、植栽起源のものを含めると自然教育園、明治神宮、池上本門寺、六義園などに見られるが、いずれも小面積なため、植生図に示されたのはごくわずかである。

<転載、以上>

次項目では、実際の第5回以降植生調査の植生図データをもとに上記の植生、群集を確認していきますが、小金井全域を対象とすると植生図もかなり詳細に検討することになるので、上記の各群集が見られる典型的な小金井市内のエリアをクローズアップして、ご紹介します。それぞれの地域で同じようなクローズアップによる作業の参考にしてみてください。

<この項、了>
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