トップ  >  花研究  >  「品種別」研究  >  「カ行」の科  >  「桔梗(ききょう)」研究  >  風土区分:ヨーロッパ  >  ヨーロッパでの「キキョウ」解説:「花の西洋史事典」から
ヨーロッパでは、その原生種、野生種を見ることのできない「キキョウ」は、異国の花として、プラント・ハンターたちによって、そのように伝えられ、採取されてきたのでしょう。

西ヨーロッパの花卉園芸文化に影響を与えることはあったのでしょうか?ヨーロッパの「花」解説を概観する際に利用している「花の西洋史事典(アリス・M・コーツ著)」から、「キキョウ」の項目を見てみましょう。
本サイトの「キキョウ」についての基本解説「桔梗とは」と重複する部分は、除いて、この文献に掲載された西ヨーロッパへのこの品種が紹介されたり、その後この地の文化に関わる記述を拾い出して、ご紹介します。

<以下、転載部分>

イギリスに導入された公式の記録は、1782年である。しかし、1599年、「ジェラードの庭」にある植物リスト(注1の中に「青い中国のベルフラワー」とでるのは、おそらくキキョウであろう。もしどちらも正しいとすれば、この植物はなんとゆっくりとした苦労に満ちた道筋を経て長い旅の後に公式に認められ、イギリスに入ることができた植物であろうか。というのは、はっきりとした商業的価値をもたない植物が極東から1599年という早い時期にこの国に届くことは実際極めて稀なことであるから。(中略)
ききょうの薬効が植物学的に認識されたのは、ヨハン・ゲオルグ・グメリンによるが、彼はアン女帝の時代にサント・ペテルブルグで化学と植物史の分野の重職に就いていた。また、彼は1754年頃に彼が同行した科学的調査・探検についての記録を出版している。

野生種のキキョウは、でたらめに伸び広がる性質があるが、今に普通に庭で栽培されているグランディフロールム・マリージー種(P. grandiflorum mariesii)は、チャールズ・マリーズが日本からもたらした丈が低く小形の種類である。
彼は、ヴィーチ商会が送りだした収集家で、蝦夷の島(北海道)でこのキキョウが生えているのを見つけた。
それはじつに美しい植物で、シャーリー・ヒッバードから「耐寒性の植物の愛好家は、これの栽培をすみずみに至るまで修得するまでは手足を休める暇もない」というほどの賛辞を受けたが、それに十分値するものである。
ファーラーは、自生地では大量に咲いており「ある日本の沼地では秋の特別な光景で、イギリス人にとてのバラやスミレと同じように昔の伝説や詩によく現れる」と述べている。

<転載、以上>

また、この事典の解説には、植物画が掲載されています。
タイトルは、
プラティコドン・グランディフロールム(和名キキョウ)
(CBM 第252図 1794年)
となっています。

このタイトルには、CBMとあるので、おそらくこの時期にイギリスで発行されていた植物画が掲載された代表的なボタニカル・マガジンの「Curtis Botanical Magazine」(1790年から発行)に掲載された植物画でしょう。
このサイトに保存してある同植物画は、こちらからご覧いただけます。
このページを見ると、この時代には、まだ「Platycodon」ではなく、「Campanula grandifrola」として、登録されていることが明確にわかります。命名者も学名検索についての章でご紹介した「Nikolaus Joseph Freiherr von Jacquin(ニーコラウス・ヨーゼフ・フォン・ジャカン)」としています。

(注1【ジョン・ジェラードとその」著作について】
転載した「花の西洋史事典」では、ジョン・ジェラードの庭という文献ですが、ジョン・ジェラードは、1597年にその主著といわれる『本草あるいは一般の植物誌(the Herbal or General Historie of Plants)』で知られています。この文献のことなのか、また別の植物リストがあるのかは不明ですが、この人物は、16世紀、初期のイギリス庭園文化を語る上で重要な人物なので海外園芸文化のコーナーにある西ヨーロッパ(イギリスなど)の園芸文化を解説した本サイトのこちらのコーナーでもその人物を紹介していますので参考にしてみてください。
プリンタ用画面
友達に伝える
投票数:112 平均点:5.36
カテゴリートップ
風土区分:ヨーロッパ