宮沢賢治の童話の「おきなぐさ」では、イーハトーブでは、「うずのしゅげ」という呼び方で「おきなぐさ」について語られます。
この童話の解説は、以下のサイトに詳しいので直接、ご覧いただくのが一番なのですが、その一部を以下に転載して、ご紹介します。
<壺齋散人(引地博信)氏の「
宮沢賢治の世界」から、転載>
この物語は、語り手の次のような言葉から始まる。
<うずのしゅげを知っていますか。
うずのしゅげは、植物学(しょくぶつがく)ではおきなぐさと呼(よ)ばれますが、おきなぐさという名はなんだかあのやさしい若(わか)い花をあらわさないようにおもいます。
そんならうずのしゅげとはなんのことかと言(い)われても私にはわかったようなまたわからないような気がします。
それはたとえば私どもの方で、ねこやなぎの花芽(はなめ)をべんべろと言(い)いますが、そのべんべろがなんのことかわかったようなわからないような気がするのと全(まった)くおなじです。とにかくべんべろという語(ことば)のひびきの中に、あの柳(やなぎ)の花芽(はなめ)の銀(ぎん)びろうどのこころもち、なめらかな春のはじめの光のぐあいが実(じつ)にはっきり出ているように、うずのしゅげというときは、あの毛※科(もうこんか)のおきなぐさの黒朱子(くろじゅす)の花びら、青じろいやはり銀(ぎん)びろうどの刻(きざ)みのある葉(は)、それから六月のつやつや光る冠毛(かんもう)がみなはっきりと眼(め)にうかびます。>こどもたちは、自分の身の回りの世界のことを、自分が生まれ育った土地の方言を通じて身に着けていく。うずのしゅげもそうした方言のひとつなのだろう。この花からこどもたちが受け取った感覚や印象の思い出はみなこの言葉と結びついている。この言葉を聞くとだから、こどもたちは「青じろいやはり銀びろうどの刻みのある葉や、六月のつやつや光る冠毛」を自然と思い出すのだ。
おきなぐさという名は、植物学上の名であり、いわば標準語のようなものである。その言葉によっても、人は小さな子どもの頃に見たり感じたりしたことを思い出せるかも知れないが、それは「うずのしゅげ」という言葉が連想させるものとは違っている。うずのしゅげという言葉にある生き生きとした体験が、科学の言葉によっては必ずしも感じられないこともあるのだ。
そんなうずのしゅげを土地の子どもで嫌いなものはない。語り手はアリにも聞いたところ、アリも大好きですと答える。そしてアリは人間が見下ろすと黒く見えるあの花びらを、真っ赤に見えるという。語り手は始め不思議に感じるが、アリのように下から見上げると、うずのしゅげの花弁が太陽の光を通すことで赤く見えるのかも見知れないと思い直す。
こうして語り手は、自分がウズノシュゲに出会ったときの思い出を語り始めるのだ。
<転載、以上>
また、全文は、
こちらのの青空文庫からもご覧いただけます。