能の演目にある「善界」。
観世流ではこの演目は「善界」ですが、金剛流では「是我意」、それ以外の流派では「是界」と呼ばれています。
その名前をとって、オキナグサのことを「善界草」と呼んだようです。この演目で大天狗のかぶる赤、白、黒のかぶり物の様子がこの花の様子と似ていることや「白頭翁」との連想で呼ばれたようです。
この能の典拠は、「古今物語集」巻二十「震旦天狗智羅永寿渡此朝語」に基づいて描かれた「是害坊絵詞」にあるといわれています。
ぜがいぼうえことば【是害房絵詞】は、鎌倉末期の絵巻物です。現在までに十数本が知られていますが,最古の京都曼殊院蔵上下2巻本(1354書写か)の奥書によると,原本は1308年(延慶1)冬,磯長寺(大阪府南河内郡磯長村にあった寺か)において,《宇治大納言物語》に取材し,童幼教化のために作成されたものともいわれています。しかし、「宇治大納言物語」は散逸しており、確かではありません。その他の説では、「今昔物語集」巻二十の〈震旦ノ天狗智羅永寿,此朝ニ渡レル語〉を元にし、改変した詞書(ことばがき)と絵とを交互に置いた絵巻物ではないかと云われています。
この謡曲の作者は、室町時代に活躍した足利善政の侍医だった「竹田法印定盛」です。
<コトバンクより、転載>
■竹田定盛 たけだ-じょうせい
(1421−1508 室町-戦国時代の医師)
応永28年生まれ。宮中の医師をつとめ,応仁(おうにん)2年8代将軍足利義政の病をなおし法印となる。歌にもすぐれ,また謡曲もつくった。永正(えいしょう)5年6月20日死去。88歳。初名は昭慶。著作に「医家古籍考」「延寿類要」。
<転載、以上>
能の謡曲、演目であるということは、室町時代に宮中や幕府などの貴族、武士の間で「善界草」と呼ばれたのは間違いないようです。
室町時代の草花は、お茶や立花、歌に詠まれるという意味で様々な場面で登場します。
次の章では、こうした内容を当時の文献で発見することで、この花のこの時代における評価を発見していこうと思います。
観世流ではこの演目は「善界」ですが、金剛流では「是我意」、それ以外の流派では「是界」と呼ばれています。
その名前をとって、オキナグサのことを「善界草」と呼んだようです。この演目で大天狗のかぶる赤、白、黒のかぶり物の様子がこの花の様子と似ていることや「白頭翁」との連想で呼ばれたようです。
この能の典拠は、「古今物語集」巻二十「震旦天狗智羅永寿渡此朝語」に基づいて描かれた「是害坊絵詞」にあるといわれています。
ぜがいぼうえことば【是害房絵詞】は、鎌倉末期の絵巻物です。現在までに十数本が知られていますが,最古の京都曼殊院蔵上下2巻本(1354書写か)の奥書によると,原本は1308年(延慶1)冬,磯長寺(大阪府南河内郡磯長村にあった寺か)において,《宇治大納言物語》に取材し,童幼教化のために作成されたものともいわれています。しかし、「宇治大納言物語」は散逸しており、確かではありません。その他の説では、「今昔物語集」巻二十の〈震旦ノ天狗智羅永寿,此朝ニ渡レル語〉を元にし、改変した詞書(ことばがき)と絵とを交互に置いた絵巻物ではないかと云われています。
この謡曲の作者は、室町時代に活躍した足利善政の侍医だった「竹田法印定盛」です。
<コトバンクより、転載>
■竹田定盛 たけだ-じょうせい
(1421−1508 室町-戦国時代の医師)
応永28年生まれ。宮中の医師をつとめ,応仁(おうにん)2年8代将軍足利義政の病をなおし法印となる。歌にもすぐれ,また謡曲もつくった。永正(えいしょう)5年6月20日死去。88歳。初名は昭慶。著作に「医家古籍考」「延寿類要」。
<転載、以上>
能の謡曲、演目であるということは、室町時代に宮中や幕府などの貴族、武士の間で「善界草」と呼ばれたのは間違いないようです。
室町時代の草花は、お茶や立花、歌に詠まれるという意味で様々な場面で登場します。
次の章では、こうした内容を当時の文献で発見することで、この花のこの時代における評価を発見していこうと思います。
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本草和名:「於岐奈久佐」 |
風土区分:日本 |
宮沢賢治の童話「おきなぐさ」 |