佐藤佐太郎と蛇崩緑道

<大成建設のライブラリー:週刊誌コラム、週刊新潮:タワークレーン「緑道になった蛇崩川」より、転載>

蛇崩川緑道の散歩を楽しんだのが、戦後の代表的歌人で芸術院会員だった佐藤佐太郎(1909-87)。昭和46年から目黒に住んでいた彼は、昭和48年にできて間もない緑道をよく散策したという。

蛇崩の道の桜はさきそめて 今日往路より帰路花多し

今、旧川端橋下の側壁に、昭和53年に彼が詠んだこの歌を始めとする蛇崩の桜の歌3首を刻んだ金属板が掲示されている。

<転載、以上>

佐藤 佐太郎は、1909年(明治42年)11月13日生まれで、1971年・昭和46年には、62歳ごろ。これ以後に出版された歌集は、第10歌集「開冬」昭和50年(1975)弥生書房、第11歌集「天眼」 昭和54年(1979)講談社、第12歌集「星宿」 昭和58年(1983)岩波書店、第13歌集「黄月」 昭和63年(1988)短歌新聞社の4冊。

また、随筆は、『及辰園往来』(求龍堂)を昭和51年に出版しているのでちょうどこの蛇崩緑道を散策した時期にあたります。
人生の師として敬仰する蘇東坡の詩を鑑賞しつつ、その生と文学との在り方を綴つた格調高く余剰の深い名随想です。

最晩年の弟子のひとりは、鵜飼 康東で、1974年に「テクノクラットのなかに」で角川短歌賞を受賞しています。 処女歌集『断片』(1980年)角川書店が、第25回現代歌人協会賞候補になっているます。佐藤佐太郎の処女歌集「歩道」が角川書店の出版第1号だった縁で角川とはその後も密な関係だったことがわかります。この時代に佐藤のもとに出入りしていたかどうかは、随筆などを読んでみたいと思います。


蛇崩の坂の塾柿雨ふれば鳥は来ざらん吾もあゆまず

衰えて足おぼつかな日ごとゆく蛇崩坂に公孫樹ちるころ


上記二作品ともに昭和50年作で第十一歌集『天眼』に集録されています。
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蛇崩川緑道