【小アジアのポントス王国の王「ミトリダテス6世」の名前から?】

本カテゴリー内のAgrimonyについてのコンテンツでご紹介した、「英米文学植物民族誌」にある語源説明()にあるようにこの草の品種名の「Eupatoria」は、ある国王の名前からきているようです。その理由は、以下の赤字の部分の毒薬、解毒剤に精通していた王で、このAgrimonyも良く知っていたからのようですが、明確にはWikipediaには、Agrimonyについては、記載されていません。学名検索で再度、確認してみたいと思います。

Mithridates Eupator(ミトリダテス6世)に情報は、以下にWikipediaより転載します。

<Wikipediaより、転載>

ミトリダテス6世エウパトル(ラテン語: Mithridates VI Eupator, ギリシア語: Μιθριδάτης, 紀元前132年 - 紀元前63年)は、小アジアにあったポントス王国の国王(在位:紀元前120年 - 紀元前63年)。小アジア一帯に勢力を広げると共に、共和政ローマの東方における覇権に挑戦し、3次にわたって戦火を交えた。エウパトル・ディオニュシウス(Eupator Dionysius)、ミトリダテス大王とも呼ばれる。

●王についてのエピソード●

◆最期は自ら命を絶ったミトリダテス6世であったが毒殺を恐れて日頃から毒薬を服用し、耐性を身につけていたために死に至らず、苦しんだ末に最期まで付き従った忠実な部下であったビトゥイトゥス(Bituitus)に命じて自らを殺させたとされる。この時に仰いだ毒薬はヒヨドリバナ属の一種から抽出されたとされ、ヒヨドリバナ属の植物には、ミトリダテス6世の称号エウパトル(ギリシャ語で「良き父」を意味する)にちなみ「Eupatorium」の名が冠せられている。

多くの政敵から命を狙われる立場であったミトリダテス6世は毒に関する数多くの研究を行っており、世界初の解毒剤とされる「ミトリダティウム(Mithridatium)」の製造に関った。「ミトリダティウム」はアヘン、没薬、サフラン、生姜、シナモンおよびトウゴマ(ヒマ)等を含んでいたとされ、囚人を実験体として効用を試した。なお、ミトリダテス6世の死後に「ミトリダティウム」はローマへ伝わり、ネロ帝の侍医であったアンドロマコス(Andromachus)によって改良され、後に万病薬「テリアカ(Theriac)」として発展することとなった。

◆大プリニウスによるとミトリダテス6世は支配下に置いた国で使用されていた22の言語全てを通訳無しで会話することが出来、かつ抜群の記憶力の持ち主であったとされる。大プリニウスのこの話は『伝奇集』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス著)の一編である「記憶の人フネス」でも触れられている。

◆上述したようにミトリダテス6世は「エウパトル・ディオニュシウス」の名でも知られる。その由来となる「ディオニュソス」はギリシア神話の神であり、ミトリダテス6世がギリシアに対して並々ならぬ思い入れを持っていたことがここからも窺える。

◆モーツァルトは自身のオペラ・ハウスデビュー作として、ミトリダテス6世の生涯を題材とした歌劇「ポントの王ミトリダーテ」を作曲した(初演は1770年12月26日ミラノ宮廷劇場(現:スカラ座)。この時モーツァルトは14歳であった)

<転載、以上>

詳細は、このエピソードの参考文献として、Wikipediaに掲載されている
ジャン・タルデュー・ド・マレッシ著、橋本到/片桐祐訳『毒の歴史―人類の営みの裏の軌跡』、新評論刊
を参照してみたほうが良いようです。
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セイヨウキンミズヒキ(Common agrimony、Agrimonia eupatoria)
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