16世紀、初期イギリスでの植物、庭園ブームを語るのに欠かせない人物が「ジョン・ジェラード」です。以下にWikipediaからのこの人物の解説をご紹介します。
<Wikipedia転載部分>
ジョン・ジェラード(John Gerard 、1545年 - 1612年2月)は、イギリスの植物学者である。1597年の著書、『本草あるいは一般の植物誌』(the Herbal or General Historie of Plants)で知られる。
チェシャー州ナントウィッチ(Nantwich)に生まれた。ロンドンで学び、床屋兼外科医となった。植物学に興味をもち、ホルボーンの家の近くに庭園をつくり、珍しい植物を集めて栽培した。新世界への航海を行ったウォルター・ローリーやフランシス・ドレークと契約し、珍しい作物を栽培した。植物の知識を増やすために、船医になってデンマーク、ラトビア、ポーランド、スウェーデン、ロシアのモスクワに旅したこともあった。
1577年からエリザベス女王の顧問であったウィリアム・セシルの庭園の責任者となり、1588年にはケンブリッジ大学に植物園の設立を提案した。1596年に植物目録を出版し、このなかでカール・フォン・リンネにさきだって種の名称の多くを2つの単語で記述している。1597年に主著、『本草あるいは一般の植物誌』(the Herbal or General Historie of Plants)を出版した。これはイギリスやヨーロッパの本草学の時代における代表的な著作であると評価されている。この書は16世紀のフランドルのレンベルト・ドドエンスの著書"Stirpium historiae pemptades"(1583年)を編集し ロベリウス(Matthaeus Lobelius またはMatthias de l'Obel)の著作"Stirpium adversaria nova"を加えて編集され、Tabernaemontanusから引用された図版に自ら追加した新しい図版を加え1800をこす木版の図版が掲載された。
一方でジェラードの『本草あるいは一般の植物誌』は誤記が多いなどの批難をあびたので、トーマス・ジョンソンによって改訂、改良、加筆が加えられて1633年に出版された。ジョンソン版の『本草誌』は人気を博し、18世紀から19世紀のはじめまで植物学者に利用された。
<転載、以上>