さて、ギリシア古典文学(神話)に登場する「庭園風景」とは、どのようなものだったのでしょう。
中山氏は、イギリス庭園のルーツともなってきたこうしたギリシア古典文学に登場する庭園風景を
バートレット・ジャマッティ(A. Bartlett Giamatti)がその1969年に出版された著作「The Earthly Paradise and the Renaissance Epic」で3つに分類していることを取り上げて、前出の「イギリス庭園の文化史」で以下のように述べてます。
<「イギリス庭園の文化史」より、転載>
ギリシアの古典文学には、どのような庭園が描かれているのだろうか。
バートレット・ジャマッティは、古典文学における庭園の主要類型として、次の三つを上げている。
第一は、庭園そのもの、
第二は、神話の物語の背景としての自然風景、
第三は、牧歌の背景としての自然風景、である。
ジャマッティは、壁や塀で囲まれた古典的な庭だけでなく、樹木や草花が茂る自然風景をも、「野生の庭園」見なし、広い意味での「庭園」もしくは「庭園」の構成要素と考えているのである。
第一の、庭園そのものでは、イギリス文学に最も大きな影響を及ぼした庭園として、ヘスペリデスの園と並んで、ホメロスの「オデッセイア」に描かれた、アルキオノス王の宮殿をあげるべきだろう。(中略)
アルキオノス王の庭園は、「オデッセイア」の中でも、もっとも変化に富む情景の一つである。ザクロ、イチゴ、イチジク、ナシ、オリーブ、ブドウなど多種多様な果樹が植えられていて、永遠の春を思わせる西風が庭園を支配し、一年中、果樹が豊かに実を結ぶ。
重要なことは、果樹園が叙事詩の舞台になっているというだけでなく、果樹栽培と農業が一体となった場所がギリシア的な庭園であり、この「農場庭園」とも呼べるものが、西洋の庭園の祖型となっていることである。
<転載、以上>
これは、正に中尾氏が「**型」と呼ぶ西ヨーロッパの典型的な庭といえます。ただ、注意したいのは、あくまで宮殿の庭であるという点です。庶民や市民の庭とは異なることを理解しておく必要があります。この点は、このカテゴリーでは、ギリシャの造園史を研究する項目でもう少し、詳細に考察していくつもりです。
話を戻します。さらにジャマッティ氏は、この庭に加え、第二、第三の自然風景ともいえるある種の庭を古典文学に登場し、西洋文化に影響を与えた庭としています。
「イギリス庭園の文化史」の該当する部分を以下に転載し、この2つの庭について、考えてみましょう。再度、「イギリス庭園の文化史」に戻ります。
<転載部分>
第二は、古典神話の物語の背景としての自然風景であるが、プロセルピナの略奪の物語で、彼女が花摘みに夢中になる草原などは、その典型であろう。(中略)
ここに描かれているのは、庭園というよりも、バラ、スミレ、サフラン、アヤメ、ヒアシンス、スイセンなど、色とりどりの花々が咲き乱れる花畑である。もともとギリシア神話では、草花や肥沃な大地は、情景を表すための舞台装置ではあっても、物語の装飾でしかなかったのだが、後の西洋文学においては、これらの花カタログは、楽園を描写するための常とう手段として使われるようになった。そうなると、カタログそのものが、重要な道具立てとみなされるようになってしまうものだ。(中略)
第三は、牧歌の風景としての庭園である。
ジャマッティが論じているのは、テオクリトスやウェルギリウスを源流とする田園詩であるが、同じ田園を背景とする文学ジャンルとして、これに、恋と冒険をテーマとした散文物語=ロマンスを加えてもよいだろう。(中略)
ここで、古典の牧歌の意味を考えてみたい。牧歌は、特に二つの意味で重要であろう。
第一に、牧歌では、牧人の自然と純粋な人間の愛に結びついていること、第二に、農業や牧畜を中心とした田園生活が理想化されていることである。
<転載、以上>
より広い家、屋敷を取り囲む自然風景をも庭=楽園というイメージへと昇華させていったヨーロッパの庭園文化とその文学的な広がりをヨーロッパ文化に大きな影響を与えたギリシア古典文学の中に見つけることができます。
では、古典文学