【明治政府による農事試験場開場とその果たした役割】

東京での花卉園芸研究の前に日本での花卉園芸研究の明治政府の動きを見て行きます。

現在は、農業試験場と呼ばれる国の農業研究の拠点は、明治期に開始されました。以下にWikipediaより、転載して、日本の農業試験場の歴史を概観してみましょう。


<Wikipediaより、部分転載>

日本における農業試験場

農業に関する試験研究が日本で組織的に行われるようになったのは明治時代以降である。明治政府が近代国家を目指した諸施策の一環として、海外から農業の専門家を招聘するとともに、多数の種子・農具を導入・試作・試験するための農事試験研究施設を設置した。

これらのうち最も初期に設けられたもののひとつが、北海道開拓使によって1871年に札幌市に設立された札幌官園である。札幌官園では「内外凡百の植物を栽培し、風土の適否を試み、種子苗木を付売し、農事奨励を図る」ことを目的として、小麦、裸麦、その他内外の蔬菜が試作され、1875年からは種子・苗木等を有償・無償で道内の農家に配布した。
現在の農業試験場の前身である国の農事試験場は、1893年、勅令第18号により西ヶ原(東京府北豊島郡瀧ノ川村西ヶ原に明治26年4月開設)、仙台、金沢、柏原、広島、徳島、熊本におかれ、1896年には更に大曲、愛知、島根にも支場がおかれている。これらの設置、また1899年の府県農事試験場に対する国庫補助の制定をきっかけとして全国各府県に府立・県立の農事試験場がおかれ始め、各地において農業技術の向上のための試験・研究が図られることとなった。
これらの農事試験場等における農業技術の着実な改良に伴い、試験研究の専門化も求められた。その結果、畜産試験場(1916年)、茶業試験場(1919年)、園芸試験場(1921年)が農事試験場から独立し、蚕業試験場(1914年)が新設されている。



<転載、以上>

園芸試験場は、当初、農事試験場の中に、「園芸部」として設置され、その後に、園芸試験場となっていったようです。
その組織は、現在の茨城県のつくば市の「花き研究所」へとつながっているようです。


【花き研究所とは】

<Wikipediaより、転載>

花き研究所(かきけんきゅうしょ、英語: National Institute of Floricultural Science, NIFS)は、農業・食品産業技術総合研究機構の研究所の一つ。

【概要】

所在:茨城県つくば市藤本2番地1
所長:腰岡政二

【沿革】

1902年(明治35年) 農事試験場園芸部として静岡県興津町に設立される。
1921年(大正10年) 園芸試験場として独立。
1951年 福岡県久留米市に花き育種研究室が創られる。
1958年 神奈川県平塚市に花き栽培研究室が創られる。
1973年 野菜試験場が発足する。
1986年 野菜・茶業試験場が発足する。
2001年 独立行政法人農業技術研究機構の研究所として、新設される。

<転載、以上>

現在の「花き研究所」の公式サイトは、こちらからご覧ください。

宮内省の管轄では、新宿御苑がありましたが、国の農業政策としては、東京の試験場は、西ヶ原でした。さらに北海道開拓使のための試験農園「東京官園」はあったのですが、これは、農業政策からは離れた場所で運営管理されていたようです。北海道開拓を目的とした樹木や植物の試験研究と育成を目的としていたようです。
詳細は、「レファレンス協同データベース」サービスにある同官園の情報検索依頼の答えをご覧いただくと解ります。>こちらから。

*上記、沿革にもあるように園芸試験場としての独立は、大正10年で、それまでの西ヶ丘試験場では、花卉園芸というよりは、農業・林業生産のための研究「果樹や林業」の研究が主だったようです。
また、明治政府の優占事項も前の章で述べた「北海道開拓使」などが重要視され、東京宮園と宮内省の新宿御苑連携が図られたようです。このことについては、本サイトの「新宿御苑のユリノキ」の章(こちらから)をご参照ください。


*静岡の農事試験場の園芸部については、この設立100周年の記念行事なども静岡で開催されたこともあり、果樹研究所の果樹研究ニュースから、その開催資料をご覧いただけます。>こちらから、PDFをダウンロードできます。


次の章では、東京府の農業試験場を取り上げていきます。


<この項 了>