トップ  >  品種別研究  >  「ナ行」の科名の品種  >  「ナデシコ科」研究  >  ナデシコ属 (Dianthus)  >  風土区分:日本  >  時代区分:江戸  >  文献資料より 「瞿麦草譜」:その2<撫子提供者:鍋島直孝(杏葉館)>
第二弾は、この草譜に6種の撫子を出品した「六名の人物」を順番にどんな人物だったのかを見ていきます。
その六名は、「杏葉館」「竹林亭」「一草亭」「三松亭」「朧月庵」「朝花」です。

この章では、もっとも多くを出品している「杏葉館」と名乗る人物から紹介していきます。
杏葉館は、「鍋島直孝」という旗本大名、佐賀藩主の鍋島家の五男です。
旗本・鍋島直孝については、以下にご紹介します。

<Wikipediaより、転載>

鍋島 直孝
<なべしま なおたか、文化6年(1809年)5月 - 万延元年(1860年)4月>
は江戸時代の旗本。江戸北町奉行。初め帯刀(たてわき)、内匠(たくみ)、内匠頭(たくみのかみ)。室はクマ(黒田直方の娘で本多正意養女)。子に今(鍋島直正養女、鍋島茂生室)。

第9代佐賀藩主・鍋島斉直の5男として生まれる。弟に鍋島直永(第8代鹿島藩主)、鍋島直正(第10代佐賀藩主)、鍋島直賢(第10代鹿島藩主)らがいる。その後、鍋島直正(鹿島藩分家・餅ノ木家)の養子となった。石高5000石。

杏葉館と号し、朝顔の栽培家として名を成した。嘉永7年、「朝顔三十六花撰」に序文を書いている。52歳(満50歳)で没し、江戸二本榎の広岳院に葬られた。

<江戸幕府役職履歴>
天保3年(1832年)12月5日、寄合より火事場見廻。
天保10年(1839年)4月7日、寄合肝煎。
天保13年(1842年)7月1日、小普請組支配。
天保14年(1843年)10月10日、町奉行。
嘉永元年(1848年)11月8日、大番頭。
嘉永2年(1849年)12月13日、辞。

<転載、以上>

嘉永2年(40歳)に役職を辞してから、朝顔などの栽培(朝顔図譜などに多く出品)で余生を過ごした人物のようです。
大番頭とは、どのくらいの役職なのでしょう?

<Wikipediaより、転載>

武家における番頭(ばんがしら・ばんとう)とは、主に江戸幕府にあっては大番頭と呼ばれ、平時は江戸城大手門をはじめ、江戸城の警備隊長として、また有時及び行軍に際しては幕府軍の備並びに騎馬隊指揮官(侍大将)として、番方(武官)で最高の格式を誇った。5000石以上の旗本または、1万石クラスの譜代大名から複数が任じられた。大番頭配下の中間管理職は大番組頭と呼ばれた。

現代の先入観でみると、警備隊長・一指揮官にすぎない大番頭が、3000石級の旗本の任である江戸町奉行や、大目付より格上なポストであることに違和感をおぼえる向きもあると思われるが、幕府はいわば軍事政権であるから、軍事・警備の責任者の地位が高かったのである。その他、将軍の身辺警護の責任者である小姓組番頭、将軍の居室をはじめとする城中の警備責任者である書院番頭(戦時は幕府直轄の二番手備指揮官)などがあった。

<転載、以上>
藩主にはなれなかった直孝ですが、役職としては、幕府でも重要な地位までに登って、引退したようです。

嘉永二年に隠居しています。前章にも書いたように平野氏によれば、撫子の流行は、天保年間。朝顔に先んじていたようですから、町奉行にまでなる天保年間に既に撫子の栽培をしていたことになります。朝顔の栽培で知られるのは、引退した嘉永年間以降ということになります。

この草譜に出品した撫子は、どこで栽培されたものだったのでしょう。自分の屋敷で栽培したものだったのでしょうか。
直孝の住まいは、江戸のどのあたりで、その屋敷は、どのようだったを調べてみます。

上屋敷は、現在の日比谷公園北側、中屋敷は、高輪、現在の東海大学キャンパスの向かい側辺り。下屋敷は、内幸町にあったようです。
これらのどの屋敷で撫子は栽培されていたのでしょうか?直孝が葬られたのが広岳院でした。この寺は、高輪の日本榎にあり、現在、東海大学キャンパスの向いにあります。その意味では、鍋島家の中屋敷の並びにあったようです。おそらく、この中屋敷に隠居した直孝は居住し、あさがおや撫子を栽培、庭づくりにいそしんでいたと考えられます。
(注:嘉永二年発行の尾張版江戸切絵図では、鍋島屋敷は、少し通りを下った現在では、「せんぽ東京高輪病院」の場所にあったようです。)



または、懇意にしていた植木屋に栽培させ、屋敷の庭には撫子はなかったと考えることもできます?
鍋島直孝とこれらの園芸植物の栽培がどのように行われていたのかは、この中屋敷を調べることでできそうですが、本「瞿麦草譜」の項目ではこの辺にして、又の機会にしたいと思います。

<この章、了>
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