【万葉集に詠われたツバキ・椿】
1-0054:
巨勢山乃 列々椿 都良々々尓 見乍思奈 許湍乃春野乎(坂門人足(さかとのひとたり))
巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を
意:巨勢山のたくさんの連なって咲く椿。今、椿の咲いていないこの地を見るにつけてもこの椿の咲き連なった春の野に偲ばずにはいられないものだ
<解説>
この歌は、巻一の歌で、坂門人足(さかとのひとたり)が詠った歌とされています。この歌には、 「大宝元年辛丑秋九月、太上天皇の紀伊国に幸せる時の歌」という詞書があり、大宝元年(701年)9月、持統上皇の紀伊国行幸に従駕し、大和国巨勢(現在の奈良県御所市古瀬)で詠まれたことがわかります。当然9月には、椿の花を見ることはできず、春の椿を偲ぼうという意味です。また、万葉集左注に「或本歌」(この歌の元になった歌)として、
河上のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は(巻一・五六)
という歌を挙げ、春日蔵首老の作としています。この歌では、素直に巨勢の連なって咲く椿の見事さをいくら見ても飽かないと詠っており、その歌に対しての歌が五四の歌です。
1-0056:
河上乃 列々椿 都良々々尓 雖見安可受 巨勢能春野者(春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ))
川上のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は
0073: 我妹子を早見浜風大和なる我を松椿吹かざるなゆめ
1262: あしひきの山椿咲く八つ峰越え鹿待つ君が斎ひ妻かも
3222: みもろは人の守る山本辺は馬酔木花咲き末辺は椿花咲くうらぐはし山ぞ泣く子守る山
4152: 奥山の八つ峰の椿つばらかに今日は暮らさね大夫の伴
4177: わが背子と手携はりてあけ来れば出で立ち向ひ夕されば振り放け見つつ思ひ延べ.......(長歌)
4418: 我が門の片山椿まこと汝れ我が手触れなな土に落ちもかも
4481: あしひきの八つ峰の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君
<この項、作成中>