【万葉集に詠われたホオノキ・朴の木】
【第十九巻】
第十九巻は、孝謙天皇時代の歌を載せています。全体の3分の2を大伴家持の歌が占めています。その中の2首に「朴の木、ほほがしわ」は、詠われています。僧の恵行の歌とその歌に返した大伴家持の歌です。
19-4204:
攀ぢ折れる保宝葉を見る歌
我が背子が捧げて持たる厚朴)ほほがしは)あたかも似るか青き蓋(きぬがさ)作者は、恵行
原文:勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖
読み:我が背子(せこ)が、捧げて持てる、ほほがしは、あたかも似るか、青ききぬがさ
意味:あなた様が日覆いにと持っていて下さるホホガシワの葉は、
まるで高貴な方に差し掛ける青い蓋みたいですね。
朴は古代「ほほがしわ」と呼ばれ、葉も大きく、昔は儀式や写経に使われ、また食べ物を包んだり、酒を飲む盃の代わりにも用いられました。原文で、「ほほがしわ」は、「保寶我之婆」と表記されています。「かしは」は、食べ物を包む葉で、柏もこのかしはから、呼ばれるようになりました。かしはと呼ばれても柏の木ではないのです。
天平勝宝2年(750)四月、越中守大伴家持(当時は越中守でした)と宴に同席した際に東大寺の僧官だった恵行が贈答した歌です。左注によればこの時「講師」。当時の「講師」は、おもに東大寺関係の僧侶で、華厳経など特定の経典の講義のため任命された僧官です。
「蓋(きぬがさ)」とは貴人の後ろからさしかける絹などを張った大型の傘で、高位高官の人に限られて使われ、傘の色もその人の身分階級によって細かく区分されていたようです。青(深緑)は最高位である一位のもので、当時の家持はまだ従五位上、傘の使用さえ許されていない身分です。
客として招かれた高僧恵行は宴の主人である家持を一位の身分に見立てて、大いに持ち上げたのです。
これに対して家持は次の歌を返しました。
19-4205:
すめろきの 遠御代(とほみよ) 御代は い布(し)き折り 酒(き)飲みき といふぞ このほほがしは作者は、大伴家持
原文:皇神祖之 遠御代三世波 射布折 酒飲等伊布曽 此保寶我之波
読み:皇祖(すめろき)の、遠御代御代(とほみよみよ)は、い布(し)き折り、酒飲みきといふぞ、このほほがしは
さすがの家持も謙遜して、このほほがしはでは、古くより天皇がお酒を飲まれたもの、そんなものに喩えられるのは恐れ多いと詠みますが、まんざらでもないのでしょう。この歌を選んだぐらいですから…。