ほとんどが採取され、一部栽培もされていたとされる縄文時代の食用の植物。
栃木県の埋蔵文化財センターの公式サイトにあるQ&Aから、縄文時代の食についての情報を以下に転載します。

<転載部分>

縄文時代は、主に植物採集(木の実や山菜などをと採ること)、狩猟(しゅりょう:狩りのこと)、漁撈(ぎょろう:魚とりのこと)の三つの活動によって、食べ物を得ていたと考えられています。

まず、もっとも重要なのが植物質の食べ物です。縄文時代というと、狩りでとった獣(けもの)が主な食べ物であるというイメージが強いのですが、実際には植物質の食べ物の占(し)めていた割合が高かったと考えられています。

その中でも秋にとれる木の実類は、主食といえるほど重要なものです。現在でも食べているクリ、クルミのほか、ドングリ類(ナラ、カシ、シイなどの実)やトチの実の殻(から)が縄文時代の遺跡から発見されます。ドングリ類やトチの実はそのままでは食べることができませんので、水でさらしたり、縄文土器で煮(に)たりしてアクを抜いていました。
トチの実のアク抜きには、水でさらしたうえ、灰を混ぜて煮るといった複雑な作業が必要となります。他にもカヤ、ヤマモモ、サンショウ、ヒシ、ノビルなど、約40種類の植物が、縄文時代の遺跡から発見され、食料とされていたことがわかります。

しかし、山菜(さんさい:タラの芽、ウド、ワラビ、ゼンマイなど)やキノコあるいは根茎類(こんけいるい:ヤマイモ、ユリの根、カタクリの根など)などは腐(くさ)りやすく遺跡には残りません。
実際に食べられていたものはもっと多く、55種類以上にのぼったと考えられます。
 植物質の食べ物についで重要だったのが魚です。狩りで獣をとるのは主に冬です。そして、とれる時ととれない時があります。それに比べて魚は、種類を組み合わせれば1年を通じて、毎回ほぼ確実に一定の量をとることができます。動物質の食べ物のうち、獣よりも魚の占めていた割合が高かったと考えられています。つい最近まで、日本人のおかずは、肉ではなく魚が主だったわけですが、縄文時代以来の伝統といえるかもしれません。魚は、地域によってその種類が異なります。東北地方の三陸海岸など外洋と呼ばれる地域では、マグロ、カツオ、マダイなどを、釣りやモリで突いてとっていました。東京湾などの内海では、クロダイやスズキが主なえものとなり、縄文時代の後半は網による漁が行われていました。海のない内陸部ではフナ、コイ、ニゴイ、ギバチなどの淡水魚をとっていました。特に東日本では、春に川をさかのぼるマス、秋のサケが重要な食料となっていたと考えられます。70種類以上の魚類が食べられていたと思われます。フグも食べられており、すでにフグの毒の抜き方を知っていたようです。また貝類も盛んにとっており、各地に貝塚が形成されます。350種類以上の貝が食べられていました。
 狩りの獲物(えもの)でもっとも多いのがシカとイノシシです。前にものべたとおり、狩りは主に冬行われます。夏は木々の葉が繁り、獲物が発見しずらく、また子育ての時期ですので、この時期とってしまえば、数を減らすことになります。また食べてもおいしくありませんし、毛皮も利用することができません。縄文時代の遺跡からは、多数のやじりが発見されるので、主に弓矢を使って狩りをしていたことがわかります。また、狩りの重要なパートナーとして犬を飼っていたこともわかっています。他にも、落とし穴を使って狩りをしていたことがわかります。シカやイノシシのほか、サルやタヌキなど60種類以上の動物が食べられていたことがわかっています。

狩猟、漁撈、植物採集のほか、縄文時代に農業があったのではないかという学説があります。賛成、反対とそれぞれの学説があるのですが、縄文時代の遺跡から出土した植物の中に、日本にはもともと自生(じせい)しない栽培植物(リョクトウ、ヒョウタン、シソ、エゴマなど)があります。農業といわないまでも、簡単な植物栽培をしていたことがわかっています。


<転載、以上>