<やさしいエンゲイより転載>
【パンジーの歴史】
はじめに
パンジー改良の歴史は19世紀初頭にはじまり、現在も続いています。花の大きさで言うと、ごく小輪の野生種からはじまり、超巨大輪といも言われる10cmを越す品種に達しました。どのように改良が進んでいったのか、時系列で見ていきたいと思います。
品種改良の流れ
<ルーツ>
パンジーは交雑によって作られた植物なので、基本的に野生種はありません。元となる野生種はありますが、世代を渡った複雑な交雑を経て成り立っているので、全容はわかりにくいようです。ルーツとしてわかっている野生種は、ビオラ・トリコロル〔V. tricolor〕、ビオラ・ルテア〔V. lutea〕、ビオラ・アルタイカ〔V. altaica〕、ビオラ・コルヌータ〔V. calcarata〕の4種です(ここで言うビオラはスミレ類の学名のビオラです)。
発端は19世紀のイギリス
19世紀のはじめ1813年頃、イギリスで園芸家のトンプソンによってビオラ・トリコロルを元に改良された品種がパンジーの最初とされています。トリコロル種は「ハート・イーズ」と呼ばれ、イギリスでは古くから親しまれてているスミレ類です。改良によって、花は大きく、縦長の形が丸くなって花色も増えて現在見られるパンジーと同じような姿になりました。1830年代には数百種にのぼる品種を作り出したと言われています。
さらに精力的に改良が進められ、花の大きさが4cmになる当時としては大輪のショウ・パンジーと呼ばれるグループが作られました。
さらに海外に渡る
ブロッチ19世紀末にはフランスやオランダ、ドイツでも改良がされるようになり、現在よく見られるブロッチ(花の中心に入る黒い目)のある品種がフランスで生まれました。花もさらに大きくなり、色や姿もさらにバラエティーに富んだものになりました。この頃、ヨーロッパ各地で改良されたグループはファンシー・パンジーと呼ばれます。
現在、中輪系と呼ばれるタイプのパンジーはこの頃にできました。主にさし芽で増殖されていましたが、大量に苗が必要となる花壇などの用途に応じて、タネからふやされるようになったのもこの頃からです。そして耐寒性の強い品種なども作られました。
20世紀前半
20世紀に入るとアメリカやスイスが改良をリードします。スイスで作出された「スイス・ジャイアント」は径8cmほどの大輪で花色も非常にカラフルなものが揃っています。パンジーのタネは品種の入れ替わりの激しく、なくなるものも多いのですが、スイス・ジャイアントは今でも変わらずタネが市販されている超ロングセラーの品種です。
20世紀後半〜
20世紀はとかく大輪種が多く作られ、戦後のアメリカでは径10cmを越す巨大輪種の「ジャンボ系」が作出されました。日本では径12cmに達する超巨大輪種のマジェスティック・ジャイアントが作出されました。
時代の流れからか、巨大輪種は受けなくなり現在は小〜中輪でたくさんの花を咲かせるものが主流になっています。現在、パンジーの改良をリードしているのは日本で、数々の優良な品種が生み出されています。
現在は日本やイタリアで育種が進み、八重咲き種やたっぷりフリルの入るボリュームのある品種など大輪種とはまた違ったゴージャスさのある品種、パステルカラーで色幅があり個性的な花を咲かせる遊びごころのあるかわいらしい品種などが作られています。
日本での歴史
パンジーが日本に入ってきたのは江戸時代末の1864年頃とされています。当時は遊蝶花、胡蝶草などと呼ばれていました。一般に栽培されるようになったのは戦後からです。昭和30年代に園芸家を中心としたパンジーの会が結成され、世界各地から様々なパンジーが収集されました。昭和40年代に入ると種苗会社が本格的な育種を開始して、優良品種が数多く作出されるようになります。日本での育種は現在でも非常に盛んで、種苗会社や個人育種家によって多くの品種が作出され続けています。
<転載、以上>