<植物ことわざ事典(足田輝一編)より>

明治の作家であり、園芸家であった前田曙山(まえだ しょざん)は、『明治年間花卉園芸私考』のなかでこういっている。

「明治36、7年頃から、西洋草花が流行し始めた。(中略)
西洋草花の中で、普通何人にも愛玩さるるものは、言う迄もなく香り菫(ニホヒスミレ)である。西洋の情話や詩に菫の優しさ愛らしさが唄われてある処から、流行病より恐ろしい感染性をもつ青春男女は、菫を又無き物と愛で、其の仄かな香ひに溺れる」

<転載、以上>

また、同じ章で、明治期の詩の世界を取り上げて、以下のように述べている。

<同書より転載>

明治34,5年頃、雑誌「明星」によった与謝野鉄幹と晶子夫妻らを中心とする、浪漫詩人の一派を「星菫派(せいきんは)」といったが、彼らがよく歌ったのもニオイスミレのことであったろう。

<転載、以上>