1)【仁多郡についての記述】
『出雲国風土記』仁多郡条には、
仁多と名づけたわけは、天の下をお造りになった大神、大穴持命が詔されるには、「この国は大きくもなく、小さくもない。川上は木の枝が梢を差し交わし、川下は葦の根が這い渡っている。
「是は爾多志枳小国(にたしきおくに)なり」(ここは潤いがあって肥沃な土地である)といった。
との地名起源伝承が記されています。
「潤いがあって、肥沃な」という意味を「爾多志枳(にたしき)」と表現していたようです。「にたし」は豊潤の意という。また、「にいた」は「新田」の転訛とする説、ムタ・ヌタなどと同義で、低湿地を表す「ニタ(仁田)」の転とする説などもあり、正確なところはわかっていないようです。
ただ、「葦の茂っている場所=肥沃な場所」というイメージは、古事記同様のようです。
『出雲国風土記』仁多郡条には、
仁多と名づけたわけは、天の下をお造りになった大神、大穴持命が詔されるには、「この国は大きくもなく、小さくもない。川上は木の枝が梢を差し交わし、川下は葦の根が這い渡っている。
「是は爾多志枳小国(にたしきおくに)なり」(ここは潤いがあって肥沃な土地である)といった。
との地名起源伝承が記されています。
「潤いがあって、肥沃な」という意味を「爾多志枳(にたしき)」と表現していたようです。「にたし」は豊潤の意という。また、「にいた」は「新田」の転訛とする説、ムタ・ヌタなどと同義で、低湿地を表す「ニタ(仁田)」の転とする説などもあり、正確なところはわかっていないようです。
ただ、「葦の茂っている場所=肥沃な場所」というイメージは、古事記同様のようです。
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