<Wikipediaより、転載>

コノテガシワ(側柏、学名:Platycladus orientalis)は、ヒノキ科の植物の1種。コノテガシワ属唯一の現生種である。

朝鮮、中華人民共和国北部に分布する常緑針葉高木。枝は密に出てほぼ直立し、枝葉の表裏の区別が無い(同じヒノキ科でもヒノキ属などでは明確な表裏の区別が認められる)
雌雄異花で、花期は3〜4月頃、雌花は淡紫緑色、雄花は黄褐色である。球果は角のある独特の形で淡灰青色になる。枝が直立する様子が、子供が手を上げる様子に似ていることからコノテガシワの名がある。日本ではこんもりと丸みを帯びた樹幹の小低木となる園芸品種のセンジュ(千手)が広く普及しており、公園木、庭木としてよく栽培されている。

◆画像◆


<転載、以上>

薬効その他をイー薬草ドットコムより、転載します。

<イー薬草ドットコムより、転載>

【薬効】

滋養強壮、下痢、血便(けつべん)、せき・たん、ぜんそく(気管支ぜんそく)、円形脱毛症、月経過多、吐血・喀血(かっけつ)

【分布生育場所】

科名:ヒノキ科/属名:コノテガシワ属
和名:児の手柏/生薬名:側伯葉(そくはくよう)、伯子仁(はくしにん)/学名:Biota orientalis

日本全土で庭園樹として植栽


【見分け方・特徴】

コノテガシワの樹全体の形は卵形か円錐形で、葉はヒノキに似ているが枝葉は直立していて、表裏が緑で区別がありません。
ヒノキ、サワラ、アスナロなどの葉の裏面が白く見えるのは白色気孔帯があり、コノテガシワの気孔帯は白色ではないために、葉の表と裏の区別ができないという独特な形態をしています。
葉は1年目は鮮やかな緑色をしていますが、翌年は褐色になり、3年目には落葉します。
コノテガシワは、雌雄同株(しゆどうしゅ)で、春先の3〜4月に雄花と雌花がつきます。

雄花は黄褐色で球形、雌花は淡紫緑色で卵円形です。
果実は先の角ばった球果で卵球形か長楕円形で、青緑色から秋には褐色に熟します。
球果の中に種子は、4個あり、楕円形で黒褐色です。

【採集と調整】

若い枝と葉を、よく洗い水を切ってから、日陰で乾燥させます。
これを生薬(しようやく)で側伯葉(そくはくよう)といいます。
側伯葉(そくはくよう)は、わずかに香りがあって、かむと苦味と辛味があります。
また、コノテガシワは秋に果実を採取して、たたいて種子を出し、種子を集めて乾燥したものを伯子仁(はくしにん)といいます。

【薬効・用い方】

有効成分は、葉に精油のピネン、セスキテルペンsルコール、タンニン、フラボノール、種子には、脂肪などを含む。
吐血、喀血(かっけつ)、腸出血、月経過多、細菌性下痢などに止血、下痢止めの目的に用います。
側伯葉(そくはくよう)を10〜15グラムに水0.5リットルを加え、約半量まで煮つめて1日3回に分けて食後に服用します。
伯子仁(はくしにん)は、脂肪油に富んでいて、滋養強壮、老衰、インポテンツに1日量5〜10グラムを0.5リットルの水で、約半量まで煮つめて1日3回に分けて食後に服用します。
また、たんきりの目的で、ぜんそくにも用いられる場合もあります。
種子にハチミツを加えて、砕いて舌炎、口唇炎などに塗布します。

民間では、コノテガシワを毛生え薬として用います。葉を黒焼きにして、粉末にしてから、ゴマ油でよく練って患部にすり込むか、側伯葉(そくはくよう)をそのまま粉末にして、ゴマ油で練って毛際に塗ります。脱毛を防止して発毛を促進する効き目があるとされています。

<漢方処方>:
伯葉湯(はくようとう)は、側伯葉(そくはくよう)、乾姜(かんきょう)、艾葉(がいよう)で、吐血が止まらない場合に用いますが、吐血、喀血(かっけつ)などの症状の場合には医師の指示が必要になります。

【その他】

コノテガシワの名前の由来は、葉がヒノキに似ていますが、枝条(しじょう)が横に伸びないで直立して上に伸びます。
それが、ちょうど子供が手のひらを上に立てているように見えるので「児手柏(このてがしわ)」という名前があります。
中国名の場合にも同様に側柏(そくはく)とは枝葉の形をそのまま表しています。

また、かしわとは、「炊ぐ葉(かしぐは)」という意味であって、これは煮炊きした料理を盛り付ける葉のことをいいます。古くはコノテガシワの葉は料理用の皿として用いられたといいます。

コノテガシワは、高さが10〜20メートルにも達して、直径は1.5〜3メートルにも成長する常緑の高木です。
原産は中国の東北部から朝鮮半島で、その後、庭園樹としてヨーロッパ(1752年)など世界中で植栽されています。

日本には約200年前(江戸時代)に中国から渡来して栽培されたとされているが、平安時代の延喜式(927)の典薬寮に、但馬国(たじまのくに)から伯子仁(はくしにん)一斗献上したという記録があり、奈良時代には栽培されていたのかも知れない。

<転載、以上>