【季語】

小浜菊の季語は、「仲秋」

【俳人で「小浜菊」を愛した俳人や歌人】

1)小田観蛍


三陸海岸、陸中野田の小袖海岸にある「小田観蛍」の句碑

「小浜菊 咲くそれよりも鮑とる ここ北限の海人おとめども」

久慈出身の小田観蛍が、北限の海女がアワビなどをとる小袖海岸や漁港を前で小浜菊が咲いているのを楽しむ余裕もないまま、ひたすら海に働く海女たちの営みを読んだ句です。

◆小田観蛍◆

1886(明治19)年11月7日〜1973(昭和48)年1月1日
本名哲弥。岩手県宇部村(現久慈市)に生まれ、1900(明治33)年両親とともに小樽に移住。奥沢小学校の代用教員となり、1951(昭和26)年札幌短期大学教授にいたる50年余の教員生活を送る。1902(明治35)年頃より和歌、美文等を創作し、「文章世界」に投稿を始める。1909(明治42)年には富良野の小学校に勤務。1915(大正4)年太田水穂が短歌結社誌「潮音」を創刊するや率先して加盟する。1925(大正14)年庁立小樽中学校教員としてふたたび来樽。1930(昭和5)年には短歌結社誌「新墾」(にいはり)を創刊する。70年に及ぶ長い歌人生活に対して、日本歌人クラブ名誉会員、第1回北海道文化賞、北海道新聞文化賞受賞、第1回小樽市功労者(教育文化)表彰。主著に歌集「隠り沼」(こもりぬ)「忍冬」「蒼鷹」「暁白」「天象」「晩暉」「小田観螢全歌集」など


2)岡野かおる

昭和の俳人には、「岡野かおる」がいる

◆岡野かおる◆
大正13年6月29日東京生れ。昭和20年大妻学院卒。昭和42年日本小品盆会東京支部。昭和44年城東医師会俳句会。昭和49年野草友の会。
2008年に句集「小浜菊」を発行する。この当時は、東京都世田谷区在住していた。