【万葉集に詠われたウツギ、空木】

万葉集には、空木、その花「卯の花」を詠った歌は24首あるようです。そのほとんどが、霍公鳥・ほととぎすと一緒に詠われています。5〜7月に開花するウツギですが、その花「卯の花」が咲く月という意味で、旧暦の四月は「卯月」と呼ばれるようになったとされていますが、それほど、当時、一般的な花だったということでしょうか。また、霍公鳥は、夏を告げる鳥として夏の歌に詠われています。その意味では、卯の花は、7月頃まで長く咲いていたから、同じく初夏のシンボルということになるのかもしれません。
当然、歌でも卯の花が散った後に鳴く霍公鳥という表現ができてきます。ある意味では、春から夏へのシンボルと夏のシンボルを一緒詠いこむということなのかもしれません。

また、古来この花が初夏までのシンボルとして愛されて来たそもそもの理由は、ふっくらとした蕾が米粒を連想させるからだともいいます。春からの田植えを夏前に終え、秋の実りを期待する気持をこの花に託したともいわれています。「田植鳥」とも呼ばれた時鳥(ほととぎす)との取り合せが好まれたのもそのためかもしれません。


【霍公鳥について】
万葉表記では、ホトトギスは、霍公鳥。
この読みでは「かっこうとり」。この読みから、「かく恋(こ)ふ鳥」すなわち、「これほど恋慕う鳥」と解釈されていたよう。鶯の巣に卵を産み付ける托卵本能のある鳥としても知られています。

【歌一覧】

【第七巻】

7ー1259:
佐伯山卯の花持ちし愛しきが手をし取りてば花は散るとも

原文:佐伯山 于花以之 哀我 手鴛取而者 花散鞆、作者は、不明

読み:
佐伯山(さへきやま)、卯の花持ちし、愛(かな)しきが、手をし取りてば、花は散るとも

意味: 佐伯山(さへきやま)で、卯の花を持っている愛しい人の手をとることができたら、花は散ってもいいのです

「于花」は、空木、卯の花の古名です。この歌は珍しく、霍公鳥と一緒に詠われてはいません。第七巻は、雑歌(ぞうか)・譬喩(ひゆ)歌・挽歌(ばんか)から成っていて、この歌は雑歌にあたります。七巻に詠われた卯の花は、この1首のみです。左注に「右十七首古歌集出」されている古歌の一つのようです。この七巻の歌は、いずれも作者不明なものが多いのですが、柿本人麿の歌集にあるとされている歌がかなりあります。

<佐伯山について>

広島県佐伯区にある山、鈴ケ峰(すずがみね)が、奈良時代の万葉集に登場する「佐伯山」とされています。
聖徳太子の時代に厳島神社の元になる伊都岐島神社を造った佐伯鞍識(くらもと)の子孫の平安時代末期の厳島神社の神主佐伯景弘は、この時代、広島県西部佐伯郡の郡司でした。この「佐伯」という名が、佐伯区という名の元になったようです。
当時の佐伯山は、卯の花の名所であったようで、現在でも、鈴ケ峰の山道から卯の花を見ることができます。



【第八巻】

第八巻には、以下の5首の歌があります。最後の小治田広耳の歌は、別として、4首は、大伴家持に関わる歌です。以下にご紹介します。

8-1472:
霍公鳥来鳴き響もす卯の花の伴にや来しと問はましものを

8-1477:
卯の花もいまだ咲かねば霍公鳥佐保の山辺に来鳴き響もす

8-1482:
皆人の待ちし卯の花散りぬとも鳴く霍公鳥我れ忘れめや

8-1491:
卯の花の過ぎば惜しみか霍公鳥雨間も置かずこゆ鳴き渡る

原文:宇乃花能 過者惜香 霍公鳥 雨間毛不置 従此間喧渡作者は、 大伴家持(おおとものやかもち)

読み:卯(う)の花の、過ぎば惜(を)しみか、霍公鳥(ほととぎす)、雨間(あまま)も置かず、こゆ鳴き渡る

意味:卯(う)の花が散ってしまうのが惜しいと思ったのか、霍公鳥(ほととぎす)が雨(あめ)の間にもここを鳴きわたっています。

歌の題詞:大伴家持(おおとものやかもち)が雨(あめ)の日に霍公鳥(ほととぎす)が鳴くのを聞いて詠んだ歌

8-1501:
霍公鳥鳴く峰の上の卯の花の憂きことあれや君が来まさぬ

【第九巻】

雑歌(ぞうか)・相聞歌(そうもんか)・挽歌(ばんか)から成っています。各々はだいたい年代順になっており、この歌は雑歌の後ろの方です。高橋虫麻呂の作です。

9-1755:
鴬の 卵の中に 霍公鳥 独り生れて 己が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛び翔り 来鳴き響もし 橘の 花を居散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし 賄はせむ 遠くな行きそ 我が宿の 花橘に 住みわたれ鳥作者は、高橋虫麻呂

原文:鴬之 生卵乃中尓 霍公鳥 獨所生而 己父尓 似而者不鳴 己母尓 似而者不鳴 宇能花乃 開有野邊従 飛翻 来鳴令響 橘之 花乎居令散 終日 雖喧聞吉 幣者将為 遐莫去 吾屋戸之 花橘尓 住度鳥

意味:鶯の、卵の中の(巣)で、霍公鳥は、一人ぼっちで生まれる。自分の養父(ちち)に、似た声では鳴かない。自分の養母(はは)にも似た声でも鳴かない(お前は、私のように一人ぼっちなのか)。

白い卯の花が、咲く野辺から、飛翔して、(私のところまで)やってきては鳴き(声を)響かせ、橘の枝に止まり、花を散らす。終日鳴くがよい声である。(かわいいおまえに)贈り物をしよう。(だから)遠くへは行かないで、我が家の、橘の花に住み着いておくれ。」

この歌には、続く反歌(1756番)があります。以下にご紹介します。

かき霧らし雨の降る夜を霍公鳥鳴きて行くなりあはれその鳥
原文:掻霧之 雨零夜乎 霍公鳥 鳴而去成 阿怜其鳥

霍公鳥の哀れさを詠んだ長歌とのセットとなった短歌です。「かき霧らし雨の降る夜を」は「雨にけぶる夜を」という意味です。「雨にけぶる夜、霍公鳥が鳴きながら遠ざかっていく。あわれなものだ」という歌です。長歌には「霍公鳥が鶯の巣に卵を産み、鶯に育てられる。霍公鳥の子は父も母も知らずに育ち、たった一羽で巣立ちをする」様が詠われている。「あはれその鳥」にはこういう事情が込められており、そのことに自分を重ねているように思われますが、そう思うのは私だけでしょうか。


<以下、作成中>
【第十巻】

10-1899:
春されば卯の花ぐたし我が越えし妹が垣間は荒れにけるかも

1942: 霍公鳥鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く娘女

1945: 朝霧の八重山越えて霍公鳥卯の花辺から鳴きて越え来ぬ

1953: 五月山卯の花月夜霍公鳥聞けども飽かずまた鳴かぬかも

1957: 卯の花の散らまく惜しみ霍公鳥野に出で山に入り来鳴き響もす

1963: かくばかり雨の降らくに霍公鳥卯の花山になほか鳴くらむ

1975: 時ならず玉をぞ貫ける卯の花の五月を待たば久しくあるべみ

1976: 卯の花の咲き散る岡ゆ霍公鳥鳴きてさ渡る君は聞きつや

1988: 鴬の通ふ垣根の卯の花の憂きことあれや君が来まさぬ

1989: 卯の花の咲くとはなしにある人に恋ひやわたらむ片思にして

3978: 妹も我れも心は同じたぐへれどいやなつかしく相見れば.......(長歌)

3993: 藤波は咲きて散りにき卯の花は今ぞ盛りとあしひきの.......(長歌)

4008: あをによし奈良を来離れ天離る鄙にはあれど我が背子を.......(長歌)

4066: 卯の花の咲く月立ちぬ霍公鳥来鳴き響めよ含みたりとも

4089: 高御倉天の日継とすめろきの神の命の聞こしをす国の.......(長歌)

4091: 卯の花のともにし鳴けば霍公鳥いやめづらしも名告り鳴くなへ

4217: 卯の花を腐す長雨の始水に寄る木屑なす寄らむ子もがも
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