あくまで、概説程度の内容ですが、以下にご紹介します。

小金井桜は元文2年(1737)、武蔵野新田世話役であった川崎平右衛門定孝が幕命によって植えたといわれています。
その並木は、小金井橋を中心に玉川上水の両岸6kmにわたって、山桜(吉野と桜川のヤマザクラ)約2000本を植えたものです。小金井橋のたもとにある海岸寺の碑文に「新田開発のため桜を植えた」と記されています。
植樹の理由については「新田の賑わいのため」「桜の花びらは上水を浄化すると信じられていた」「花見客に堤を踏み固めさせるため」 などの諸説があります。
小金井桜は江戸時代から関東随一の桜の名所として知られ、歌川広
重の錦絵などで紹介されるなどして、江戸での人気は高まり、見物客も多く訪れたようです。
嘉永年間には田無村名主・下田半兵衛によって大規模な補植が行われ
明治16年(1883) には明治天皇が訪れ、その記念樹である 「行幸松」が海岸寺の山門前、玉川上水北側遊歩道にあります。

大正年間には、サクラ博士として知られる東京大学の理学博士、三好学博士が36品種と亜種3品種による山桜大集植地としての沿革、樹形特性などを調査、「天然品種の植物群落」と評価したことで、大正13年(1924)国の名勝に指定されました。
山桜の寿命は50年から120年とされ、その後の植えられた欅の並木などで日当たりが悪化。五日市街道の排ガスの影響もあって、多くの桜は枯死あるいは老木化してしまいました。


現在は、小金井市による整備計画(こちらから)や小金井市の公式サイトにある「小金井桜のあゆみ」などで情報を得ることができます。
また、地域ボランティア団体「小金井名勝桜の会」や「小金井桜を復活する会」などの活動もあり、地域住民による保存、管理も始まっています。