簡単に「植木や、植木屋」と呼んでいる職人もどのように生まれ、どのような存在だったかは、まだ、良くは研究されていないのではないでしょうか。
飛田範夫氏は、その著作「江戸の庭園(京都大学学術出版会刊行)」で江戸の庭園を語るには、まず植木やについて語る必要を感じたのか、その第一章を「江戸の植木屋」を説明することに割いています。
「第一章の一 さまざまな植木屋」で、その「植木や」という呼称を江戸時代の本草書に書かれた「どんなことをする人か」という内容を紹介しています。
<以下、「江戸の庭園」より、転載>
最近は造園屋とか造園業者と言うことが多くなったが、江戸時代の江戸では一般に「植木屋」と呼んでいた。本来、木を売っていたから植木屋のはずなのだが、庭園を作っていたりするために、その仕事がわかりにくい。水野忠暁(みずのただとし、1767-1834)の『草木錦葉集』(文政12年)では、植木屋を次のように分類している。
変わった品を売買する者
その土地の産物を熟知して売買する者
松作りだが、小松や根上りの松ばかりを作る者
大石の台に樹木を植える者
庭木ばかりを作る者
幹を曲げて基本となる荒作りをする者
椿・山茶花などを作る者
梅・桜の類を作る者
直接地面に樹木を植えて栽培する者
庭造りの中でも露地などの茶庭を造る者
岩史庭といった庭園の岩組や石を巧に扱う者
大きく分類すれば、江戸時代には盆栽・植木生産・作庭の仕事を行っていたのが、皆「植木屋」ということになるが、仕事内容からすいると、実際の生業としてはかなり細分化していたことがわかる。仕事了が多かったので細分化していき、持続することも可能だったのだろう。だが、それぞれの専門家に対しての呼称が生まれていないことは、まだ完全に分化していなかったことを示している。ここでは、植木の生産・販売、作庭、庭園の維持管理に従事していた植木屋について見ていくことにしたい。
<転載、以上>
本当に仕事が細分化していたことに驚さかれます。
植木を生産し、盆栽や庭木を整え、さらには庭を造るまで、植木屋の仕事の範囲は、園芸全般に及んでいたということになります。
盆栽づくりなどの技術や桜、梅や椿・山茶花などの品種を育てる技術などによっても特殊な職人として、認められていたということがよく、わかります。
飛田氏はこの著作では、この後の章で江戸時代を前期、中期、後期と分けてその植木屋の変遷を説明しています。この内容は、また後でご紹介します。