【東京農試報に見る明治期の多摩地域の植木産業】

<東京農試研報29「植木産業拡大期における植木経営の成立過程の類型的特徴:戸塚誠著」から、転載(以後、「東京農試研報29より」と略する」)>


第1章 三多摩における植木生産の発展史概要

三多摩の植木栽培は、明治10年前後に現在の調布市付近で始められたが、やがて府中、小金井、国分寺、立川へと武蔵野台地の西郊へ拡大をしてきた。これらの植木栽培の当初の姿を見ると、まず植木導入の契機は、山林樹苗(スギ、ヒノキ、マツ)、養蚕桑苗、食用または鑑賞用果樹苗(ナシ、カキ、モモ、クリ等)の生産販売者と結びつき、それらの経営技術のなかで植木苗が取り扱われることから始まった。
これらの経営者は埼玉県の安行や神奈川県の戸塚から、モチ、チャボヒバ、コウヤマキ、玉イブキ、イトヒバ等の樹苗を導入し、前述の果樹苗等とともに東京周辺の神社仏閣を中心に開かれる縁日などに出張販売するかたわら、それらの売れ残り苗を畑で養成し、あわせて桑苗の繁殖、山林樹苗の養成技術を基礎に逐次増殖してきたのが今日の植木経営につながる発祥の形態であった。


<転載、以上>

上記研究報告からは、地域としては、
最初が調布市付近で府中、小金井、国分寺、立川と拡がっていったようです。可能なら、明治期のこれらの地域での農業発展も確認してみたいと思います。


【植木発展の地域を組合成立から想像する】

この同じ戸塚氏の論文には、多摩地域の植木組合の成立時期の表があります。以下に転載します。

この表は、昭和20年代からのものですが、より早い組合成立がそれ以前からの植木屋の存在を知らせてくれます。

<転載した組合成立状況の時期>

<転載、以上>

予想通り、区部が植木業が成立したのが早いためか、足立、杉並が早く、多摩では、やはり八王子、小金井、調布、府中という順番のようです。

植木の内容としては、山林樹苗、果樹苗(主に鑑賞用)、養蚕桑苗が主体だったようです。これは、国や東京市の明治期の緑化計画、農林業の政策や国家的な養蚕需要などとも無関係ではないように思われます。別項目での明治期の東京の産業発展を見ておきたいと思います。

さらには、東京の染井などから移住した植木業者の地域として知られる「埼玉県安行」や「神奈川県戸塚」からの樹苗の導入もこれらの地域の明治期の植木産業と合わせて見て行きたいと思います。


次の章では、東京都植木農業協同組合の川島隆之氏が「多摩のあゆみ 136号」(たましん地域文化財団発行)に「多摩の植木生産の歴史」として記載された記事中の明治期の植木生産の情報を見て行きます。

<この項、了>