【多摩の植木生産の歴史(「多摩のあゆみ 136号」川島隆之氏著述)より】

1)明治期に神奈川県北多摩郡だった多摩に始まった植木生産

明治期には、東京都の多摩地方は、神奈川県に属していたことは重要な点です。この参考とした文献で、川島氏はそのことにも触れながら、初期は、調布と小金井の植木業者が植木生産を始めたことを語っておられます。
同書の参考文献は、
「東京農業と試験研究100年の歩み」「東京都緑化白書」「東京の園芸特産」「グリーンハンドブック」(以上4冊は、東京都発行)
「桑の都から新世紀へー八王子造園組合100周年記念誌」
です。これらも、後日入手、または閲覧して、内容を確認してみようと思います。

<同書よりの明治期についての著述部分より、部分転載>(重要な部分は、太字で本サイトが強調しました)

植木産業は、その時代の平和の度合いや経済状況、公共事業などにより、大きく影響されている。

明治四年の廃藩置県後、大名屋敷はその多くを明治政府が買収し、軍の施設や大学、公園などに利用した。時代とともに市域が拡大し、農業は東京市の外周部(現在の山手線周辺)の郡部に拡散していった。
この時期多摩地域は、神奈川県に属しており、玉川上水の小金井堤の桜は、江戸時代から小金井桜としてお花見の名所となっていたが、明治22年(1889)、甲武鉄道(新宿ー立川間)の開通とともに花見の時期にはたいそうの集客があり、周辺農家は茶店を出し、かなりの副収入を得たという。

多摩地域が神奈川県から東京府へ移管された明治26年(1893)当時、富を得た八王子の絹織物強者は庭園づくりを盛んに行い、八王子植木組合は活況を呈していた。
この八王子を除くと、北多摩では、明治25年頃、神代村(現在の調布市)の浅田末吉氏、小金井村(現在の小金井市)の井上清十郎氏らによって植木栽培が始まり、国分寺村でも五、六軒で植木、苗木の生産が開始され、アカマツや雑木の山堀を仕立て、市部の植木職人に供給するようになった。
(後略)


<部分転載、以上>

この文献では、最初が「八王子の植木業者」で、その後、調布(神代村)や小金井、さらには国分寺の業者が登場したと延べられています。
樹種としては、アカマツやその他の雑木ということのようです。

是非、八王子の絹織物業者のこの時期に造った庭園を調べ、その中で明治期に植栽されたと思われる樹種を調べてみたいものです。さらには、調布と小金井では、具体的に名前の挙がっている植木業者の来歴や詳細を調べてみようと思います。

地域の文化背景としては、「明治期の八王子の絹織物の隆盛」「行楽地としての小金井桜の見物」「甲武鉄道の開通と役割り」なども重要な要素として、別な項目や提携サイトのコンテンツを概観しておくことも重要でしょう。


<この項、了>