【大正時代の多摩の植木産業:その1「関東大震災前までの植木産業の概要」】
<「多摩のあゆみ136号:多摩の植木産業の歴史(川島隆之著)」より、転載>
大正時代に入るとゴヨウマツ(五葉松)の切り枝、ツツジなどの盆栽用苗、庭木が農業の副業として栽培され、深大寺(調布)、大國魂神社(府中市)、大善寺(八王子市)などの縁日には植木が盛んに売り出された。
<転載、以上>
この文献によれば、
1)「盆栽用苗」「庭木」の需要が増加したことがわかります。樹種としては、ゴヨウマツやツツジという名前が見られます。
2)縁日での販売は、深大寺、大國魂神社(くらやみ祭り)、大善寺(お十夜)などが主要なものだったようです。
また、この著作の元となった「東京農業と試験研究100年の歩み」(東京都発行)の大正時代の部分を以下に転載します。この内容は、同書を著述した仲宇佐達也氏の「東京農業史」の記述内容と重なっています。
<転載部分>
当初、埼玉県の安行などから仕入れて販売し、残りを畑で栽培していた種類は、モチノキ、モッコク、モクセイ、カエデ、ツバキ、チャボヒバ、ツツジ、アカマツなどで、樹種も次第に多くなった。ほんの一部であるが、プラタナス、イチョウ、ニセアカシア、サクラ、ヤナギ等の落葉高木を都市緑化用の街路樹の生産も始められ、関西方面にも移出されるようになった。
また、畑の防風垣として植栽されていた茶の代わりに田無ギリ、紅ギリが植栽され、根岸五葉松と共に枝物として、大量に栽培され、取引の市も開かれた。
<転載、以上>
上記の情報を元に大正時代の多摩地区の植木産業を段階的に調べていきます。最初は、「生け花の切り花やフラワーアレンジ用の枝葉」を主として、枝物の需要や「盆栽」などの需要を調べてみようと思います。具体的には、田無ギリ、紅ギリ、根岸五葉松などを調べていきます。