【開拓使官園で試験栽培された輸入苗を知る】

先ず、「東京市史稿」での官園の記述を以下にご紹介します。

この「東京市史稿」の記事は、「法令類纂」「大日本農史」「開拓使事業報告」「農業雑誌」等を転載したものとされています。以下、各文献からの転載文を紹介していきます。

果樹園は、青山南町の第一号官園(果樹園は、31,503坪で全面積の8割以上)と青山北町(果樹園は、48,601坪で全面積の5割以上)の第二号官園に設けていたようです。

<「東京市史稿 遊園篇 第4 / 東京市‖編 / 東京市 , 1932.7 /0920/T727/T2-12-4」の「開拓使事蹟」(p.272-294)より、転載。以下「東京市史稿より、転載」と記す>

<「開拓使事業報告」より>(赤字の部分は、本サイトで付け足した文言です)

明治五年
林檎、李、桃、梨、桜(サクランボ)、葡萄等の苗木をアメリカ、中国から購入し、場内に栽植す。

明治六年
林檎、李、杏、油桃、梨、桜、葡萄、懸鉤子(キイチゴ)、「カーレンツ(アカフサスグリ)」、「グースベレ(グースベリー)」、榲桲(マロメロ、西洋カリン)の苗木を購入、植栽す。

明治七年
桃苗、及び胡桃種子を購入。前年栽植した「カーレンツ」と「グースベレ」が初めて結実した。

明治八年
水蜜桃の苗木を購入し、栽植す。林檎、杏、油桃、梨、桜の五種類が始めて結実す。農業現術生徒を札幌、函館、根室各地に派遣し、果実の苗を移植す。

明治九年
五年より、七年に至る三か年間栽植してきた李、桃、キイチゴ、葡萄が始めて結実す。

明治十年
果実各種を第一回内国勧業博覧会に出し、菊紋賞牌を得たり。(この事は内国勧業博覧会部に詳細がある)六年栽植の西洋カリン始めて結実す。

明治十三年
八年栽植の水蜜桃が始めて、結実す。

明治十四年
第二会内国勧業博覧会に各種の果実を出し、菊紋賞牌を得たり。この後に栽培方法、及び結実の状況を略記し、次に、苗木及び収実などの詳細を掲げる。

「林檎」
初め、圃場を数回熟耕し。距離二丈毎に植坪を設け、堆糞及び作り肥に人糞を混ぜたもの、あるいは獣骨粉、鳥糞などの埋肥を施し、移植す。接梢は最も肥大の條枝を採り、適当な樹木に接ぎ木す。実の周囲は、大きなもので一尺一寸、小さいものは、八九寸、その色は濃淡紅、あるいは斑点あり。成熟する季節は、夏秋の異なるものがある。

「梨」


<転載、以上>

<この項、続く>
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