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桜草文献研究

「さくらそう」についての文献は、江戸時代以降に登場してきました。江戸から明治にかけてのさくらそう栽培の発展は、様々な文献に見ることができます。
本カテゴリーでは、幾つかのテーマを設け、そのテーマに合わせて、その当時の多様な文献、資料を研究していきたいと考えています。

サブカテゴリー

江戸時代17世紀末までの園芸文献を探訪する
江戸時代の後期、元禄年間には、園芸書が多数発行され、桜草の栽培に関する記述も登場します。最初に登場した園芸書といわれるのが、水野元勝の「花壇項目」です。
一方、本草学は、薬としての草木を伝統的に取り扱う学問として、中国からの伝統を継承して、江戸期には本草学として、多くの書物が登場していました。
このカテゴリーでは、この花壇項目以前の園芸書の存在や桜草の栽培を取り上げた文献を調べていきます。この時代は、「桜草」が連歌やお茶の花として、貴族や武家の庭に栽培されていたと考えられます。
日本の園芸書や中国の園芸書(宋、明時代)にその影響を受けていました。特に「本草綱目」は、中国で発行されると直に日本で訳され発行される程でした。そうした中国の本草書や園芸書に影響を受けて園芸書が江戸末期に多数出版されました。
このカテゴリーでは、それ以前の園芸、栽培に関する文献を探し、取り上げていきます。
桜草流行の変遷と桜草見物のガイドブック:カテゴリー6
江戸各所の桜草の自生地への花見や植木屋などの庭に咲く桜草の見物など、庶民の桜草人気を当時の名所ガイドや流行についての情報誌とでもいえる各種文献に探します。江戸後期には、花見=桜草見物のガイドブックが数多く、しかも定期的に出版されました。

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