大名屋敷、大名庭園とさくらそう
江戸時代に隆盛を誇る大名屋敷・庭園。本カテゴリーでは、その発展史とその庭でのさくらそう、さくらそう栽培の実態を調べます。
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- 柳沢信鴻・六義園の隠居生活と園芸趣味
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柳沢信鴻(やなぎさわのぶとき)
享保九年(1724)十月二十九日郡山城内で出生。柳沢吉保の孫の彼は、元文三年(1738)従四位下に叙して美濃守に任ぜられ、父吉里の卒去した延享二年(1745)十月二十日大和郡山十五万一千石を継ぎました。以後二十八年間藩政に携わり,安永二年(1773)十月三日致仕,藩政を嗣子保光(やすみつ)に譲り,名を左兵衛督と名乗り,同年五月からは江戸染井の別邸(現六義園)に隠居しました。駒込染井の別邸に隠居してからは、俳諧、読書、物見、観劇などの悠々自適の生活を楽しんだといいます。天明五年(1785)に剃髪し,寛政四年(1792)三月三日、染井の別邸で亡くなります。
『宴遊日記』は隠居後の記録で、このコーナーでは、その中の園芸、桜草の記述をご紹介します。