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それでは、松屋会記に桜草が登場する記述をご覧ください。
もちろん、さくらそう会会報で森富夫氏が取り上げられている部分と同様ですが、ここでは、省略された部分も含めて、ご覧にいれます。

寛永十一年三月二十二日晩

京都 三宅奇斎へ   ヲチ 源右衛門 久重二人

二畳敷 フンコミ床 ヨコ四尺 フカサ間半 ク、
リソトニ エン(縁)アリ、畳ノ表ハ石タゝミ
床ニ 一休一クタリ(行)物、字数七、□印一ツ、
ツリ棚ニ、荒茶碗ニ ツル付茶入ヲ袋ニ入テ、イレコニ入カサル、肩丸キ古釜炉フチ アカクルイイロニヌリタリ、
手洗ノ間ニ、コトウ、丸板ニ、
椿二色・桜草・キンセン花入、
ツルノアル小倉水指 前ニ、光明朱盆ヘ、茶入ノセテ、メンツ 引切
一服入ノキンチャク茶入也
薬見事也、袋トンス、
朱四方盆一段美事也、唐無紛ト也、

焼鮒 汁鳥 杉ヘケメニシテ、ヌリタル折敷ナリ、フチハ真ニヌル、
飯 青地鉢ニ カウノ物引引テ、フワフワタウフ クスタマリカケテ、サシミアヲス、少アフリテ切タリ、コゝモリ塩引
鉢肴梅ノツケモノ
菓子水クリ・コホウ・タウフ


料理の部分までをご紹介したので、少し長くなりました。
この茶会を森富夫氏は以下のように説明されています。

ここで出るのは、三代目久重のもので、久重が京都の三宅奇斎の茶会に呼ばれた時の記録であります。
三宅奇斎は、三宅亡羊のことで、儒学者であると共に、茶、聞香、挿花にも秀れていました。この茶会では床に一休禅師の一行をかけ、手洗の間に胡銅の花入を丸板にすえ、椿二色に桜草、キンセンカを入れたとあります。
茶室は二畳敷、炉に肩の丸き古釜をかけ、朱の四方盆に一服入れのキンチャク茶入をのせ、面桶(メンツウ=曲建水)、竹の引切り蓋置、荒茶碗で茶を点てましたが、殊に朱の四方盆は美事で、唐物(カラモノ)にまぎれなしと書かれております。

<以上 さくらそう会会報No.12より>

さて、次の章では、まず、この茶会の主人である三宅奇斎(三宅亡羊)について、どんな人物だったのか?この茶会の背景を寛永十一年三月という時期と久重やその他の三宅亡羊と関係の深い人物や出来事から探っていきたいと思います。
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