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Primula japonica
という学名からは、この品種が日本の固有種として、ヨーロッパに認識されたことがわかります。
それでは、一体、いつ欧米に紹介されたのでしょう?

1)シーボルト
ヨーロッパに紹介され、評判となったのは、シーボルトによるとされています。
最初にシーボルトが日本の植物をドイツにもちかえって、その後ツッカリーニと「日本植物誌」を共著したのが、1835年です。

2)アサ・グレイと開国前に日本からアメリカに標本を届けたプラントハンター
学名に記される「A. Gray」は、アメリカ、ハーヴァード大学博物学・植物学教授アサ・グレイ(Asa Gray)のことです。

彼は、1853〜1856年にリングゴールドとロジャース米国北太平洋探検旅行に同行した植物学者チャールズ・ライト(1811-1885)が函館、種子島、小笠原諸島と沖縄を含む琉球諸島で収集した標本(別な説では、1853年ペリー艦隊乗船者達「ジェイムズ・モローとサミュエル・ウェルズ・ウィリアムス」が下田・函館等で採集した植物標本)を分類研究して、多数の新植物を記載・報告した結果を元に日本の植物がアメリカ東部のニュー・イングランド地方の植物とよく似ていること、つまり北米の温帯と日本を中心とするアジア極東地方温帯地域の植物相の共通性・隔離分布を指摘しました。
(出典:「日本の明治維新以前の植物探査」ピーター・バーンズ記/Curtis's Botanical Magazine 2001)
彼の著作「Manual of the botany of the northern United States」Vol.2が1859年1月に発行されています。多分、この中で学名が正式なものとなったためにグレイの名前が冠されているのではないかと思われます。グレイは、アメリカ園芸学会でダーウィンの進化論を擁護、賛同した学者でした。同じ時期にイギリスでは、ジョセフ・ダルトン・フッカーがダーウィンを支持する学者として、活動をしています。彼の父がキューガーデンの園長であり、イギリスを代表する学者であったこともグレイのアメリカでの発表がイギリス園芸界に大きな影響を与えたことは想像に難くないでしょう。
チャールズ・ライトの調査結果や標本はどのような形でアメリカに届いたのでしょう?その結果を元にグレイは、アメリカの植物と日本の植物を比較する際にどのような方法をとっていたのかは、グレイの上記著作について、もう少し詳細に調べれば、当時アメリカ園芸界とヨーロッパ(ドイツ)園芸界に影響を与えたのシーボルトの業績との接点をみつけることができるかもしれません。当時の両園芸学界の発表、イギリスでの発表なども調べてみる必要があるでしょう。
(この詳細研究報告は、まだ多くの検証が必要となりそうなので別な章で報告する予定です)>詳細は、こちらから、ご覧いただけます。

3)ヴィーチやフォーチュン
この二人のプラントハンターもクリンソウを本国に持ち帰っていることが知られていますが、どちらも、1859年の日本の開港後ですので、このPrimula japonicaという学名が付けられ、ヨーロッパに紹介された後に本国に持ち帰られたということになります。

【結論】
可能性としては、年代的には1)で、1)の時点で学会で学名として、登録されていなければ、2)ということになるでしょう。
次章以降で、1)、2)それぞれのドイツ、アメリカでの詳細を調べていきます。

【BGPlantsの学名検索より、品種学名登録を転載】

<転載、部分>

学名: Primula japonica A.Gray
和名:  クリンソウ
学名ステイタス: 標準
掲載図鑑とページ番号: (平凡社・日本の野生植物)草本3: 23;(保育社・原色日本植物図鑑)草本1: 231;(講談社・Flora of Japan)3a: 91;(至文堂・日本植物誌)1193;
文献情報(原記載文献など): Mem. Amer. Acad. Arts Sci. (Boston) n. s. 6 [Bot. Jap.]: 400, in adnot. (1859); Franch. & Sav., EPJ 1: 299 (1875); Pax in Pax & R.Knuth, Pfl.-reich 22(IV-237): 125 (1905); Matsum., Index Pl. Jap. 2(2): 480 (1912); Takeda in Not. RBG Edinb. 8: 89, t. 21 (1913); H.Hara in B. M. T. 50: 568 (1936), ESJ 1: 90 (1949), excl. distr. Taiwan; Makino, Ill. Fl. Nippon: 233, f. 699 (1940); Ohwi, Fl. Jap.: 923 (1953), ed. Engl.: 720 (1965); Vorosch., Fl. Soviet. Dal'n. Vost.: 337 (1966); Probat. in Kharkev., Pl. Vasc. Or. Extr. Soviet. 2: 143 (1987).

<転載、以上>

学名検索からは、「Memoirs of the American Academy of Arts and Sciences.」のVol.6(1859)での最初の掲載があることが解ります。
この文献は、こちらから、ご覧いただけます。

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