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さくらそう教室の苗が不足 from いい、おしめりですネ・・・・・・・・ (2011-1-16 22:13) |
さくらそう教室を2箇所で40名を予定しているので、教室用の苗ができない。 秩父さくらそう会の会員で花友のW氏に苗のお願いにいってきました。 丁度、植え替え前の同じ品種の鉢を並べ変えていました。 同じ鉢を2ヵ所に分散して栽培しているので、 植え替えの時は同じ鉢を集めて、芽わけをしています。 夜の8時頃まで、芽わけをしています。 W氏は全ての鉢を芽わけしてから、一斉に鉢に植え替えます。 私は、1鉢づつ芽わけ、1鉢づつ植え替えていきます。 どちらが早く植え替えが終わるのか? |
第15回「グローバルランドスケープ通信」掲載のお知らせ from ホーム日本造園学会ホーム日本造園学会「造園学会トピックス」 (2011-1-16 19:25) |
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vol.3農業世界十一月号付録 from 庄内の日本桜草栽培日誌 (2011-1-16 19:00) |
昭和15年11月1日発行『農業世界十一月号付録 桜草の作り方』 『上原梓・佐々木尚友 共著 栽培秘訣 桜草の作り方』(博文館) を読みますと 昭和51年(1976年)5月初版鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』(NHK出版) 昭和34年(1959年)5月発行加藤亮太郎著『日本桜草』(加島書店) 上記2冊の本以上にプリムラにも言及されています。 日本桜草に関して90ページ。西洋桜草プリムラに関して70ページ。 農業世界誌の付録というより別冊特集号に近いかも。 桜草が一般に広まったのは、連という組織が崩壊した明治以降であり 同時に外国からプリムラも入って来たからかしらでしょうか、当時の人気を感じさせます。 桜草に関した内容では 用土と肥料の作り方に関して、かなりページを割いています。 今の時代のように園芸店へ行けば 全国共通に用土や肥料が購入出来る時代と違いますから とても重要な事項だったことでしょう。 芽分け、根分け、実生の方法も同様に詳しく記載されており、まさしく‘栽培秘訣’です。 古い冊子ですが、私には勉強になりました。(^^) その中に、個人的にとても勉強になったことがあります。 P49 桜草は元来、酸性の土に良く生育します。 従って腐葉土を主体とする必要があります。 大抵、腐葉など消毒するためには、日光に当てますが、 若し石灰を用いた場合には、中和して酸性でなくなってしまいます。 すると葉が黄色くなってしまいます。腐葉が完全に醗酵していない場合も同様です。 ↑ ウチの桜草の葉っぱも黄色いです。 園芸品種の栽培年数が僅か数年と浅いので 肥料が足りないのかもしれないと考えていましたが、 市販の安物腐葉土や園芸の土を使ってきましたので 含まれている腐葉や牛糞堆肥が完全に醗酵していなかったのかもしれません。 閑話 葉っぱが黄色いのは、肥料不足が原因だと考えていました。 マグアンプを元肥として与えていましたが 数粒撒いただけなので量的に全く足りてなかったようです。 栽培の後半から、40リットルのバケツにハイポネックスの原液20ccを注ぎ、潅水してました。 効果の程は計りかねますが、丈夫な芽は取れましたから、悪影響は全く無かったことは確かです。 なので今年は、最初から使ってみようと思います。 浪華さくらそう会の会長である山原茂氏のBlog『日本桜草』にも 黄色い葉っぱの桜草に関することが書かれています。 2008年04月07日『黄色い桜草の葉』より抜粋。 ---------------------------------------------------------------------- 思い当たるのは培養土に基肥を入れたことである。 水を含ませて袋に入れ、日数をおいたつもりなのだが、 どうも醗酵不十分なまま植付けしてしまったらしい。 毛根の成長が抑えられ、根茎の力だけで伸び上がってきたのだ。 根が回復して緑を取り戻しつつある鉢も出てきたが、 異常なまま花茎を上げてきているものがあり、痛々しい。 未熟な肥料ほど恐ろしいものはない。 豪華に咲かせたいと思った計らいが逆になってしまった。 肥料耐性の弱いものは来年の芽も期待できそうにない。 ---------------------------------------------------------------------- 葉っぱの黄色い要因も色々考えれるようで、難しいですね。 しかし、悪いことばかりではなかったようで、 品種に因っては良い効果も得られたみたいです。 ↓ 2008年05月01日『肥料効果でにぎやかに』より抜粋。 ---------------------------------------------------------------------- 今年の培養土には元肥(油かすと骨粉)を仕込んだ。 半端な醗酵のまま使ったので、肥当が続出した。 一方で例年にもまして緑濃い葉を繰り出したものもある。 これらの中に目を見張るような花を付けたものも出た。 「白珠」など我家ではついぞまともに咲いたことがない。 葉の下でいつもかくれんぼうの状態だった。 それが、葉上高くとまではいかないが、 葉をかき分けて、大きな白い珠が鈴なりである。 「白珠」本来の姿をやっと見ることが出来たのだ。 また品種によっては見慣れた輪形を越えて、 びっくりするほど大きく咲いたものも出た。 これらは肥料がうまく効いたといっていいだろう。 ---------------------------------------------------------------------- 八重咲きの桜草は肥料を好むと聞きましたし、 与える肥料の量は品種に因って個々違うようです。 元肥は適当にして、葉の色を見ながら液肥を与え、探ってみようかしら・・・。 2008年は深植で失敗しました。 2011年は肥料の与え過ぎで失敗するかもしれませんが、 八重咲きは肥料を好むと聞いていますし、良きに悪しきにこれもまた経験かと。 閑話休題 『農業世界十一月号付録 桜草の作り方』の 『品種紹介』の一番最後には 『その他珍種としては、斑入葉種、白八重、等があります。』 と書かれていました。昔から有ったんですね。 |
保土田古墳群めぐり3 from 楽老 (2011-1-16 6:59) |
保土田古墳群めぐり最後は保土田薬師塚古墳です。5世紀末の古墳ですが3つの古墳のうちでは最後の古墳と考えられます。
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vol.2加藤亮太郎 from 庄内の日本桜草栽培日誌 (2011-1-15 19:44) |
加藤亮太郎著『日本桜草』(加島書店)昭和34年5月発行 を読みますと (著者は、昭和11年1936年創立の浪華さくらそう会を昭和30年1955年に再出発させ、会長を努める。) (ちなみに、現在鳥居恒夫氏が世話人代表を努めるさくらそう会の創立は昭和28年1952年。) 温故知新とは良く言ったもので、 鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』(NHK出版)同様読み応えがあり、この本も実に面白い。 面白すぎてお伝えすることを忘れてしまうほどである。 機会があれば是非読んでいただきたい本です。 加藤亮太郎著『日本桜草』では最初に呼び方について書かれています。 P1 『一.桜草について』 『名称の起り』から始まってP5終わりの方に、 『学名に対して、和名での正しい呼び名が即ち、「さくらそう」であります。』 と書かれています。 長々5ページにわたって綴られているので、素直に『フムフム』と読めてしまいます。 プリムラ=西洋桜草=桜草とい呼称がひろまってしまっているけど、 卑屈になって日本桜草と名乗らず、堂々と桜草と名乗りましょう! と言われている気がします。(^^; P33に、 『さくらそうの故郷』の事項では 神奈川県:橘樹郡小机 と載っています。 『小机』といえば 横浜さくらそう会と日産スタジアムが協力して行っている 「サクラソウ自生地復活プロジェクト」 地元の野生品種という『小机』が書籍に紹介されていたことは 大きな驚きと歓びだったと思います。 その想いが分りますし、羨ましい限りです。 P93に、 『現在品種の中から、お勧め出来る、強健な品種を列挙してみますと、云々。』 とあり 『源氏鏡、香炉峰、月の都、富士の雪は、天保年間から伝えられた歴史的の品種であって、 今なお、旺盛な活力を保っているという強健なものです。』 と記載されているのですが、源氏鏡は品種間違いで出回っており ネット上の画像掲載件数もとても少ない状況です。2010年12月26日『植え替え.0』 源氏鏡は出回っておらず、香炉峰、月の都、富士の雪が普及して入手しやすい という、この現状の差は、さくらそう会と鳥居著『色分け花図鑑 桜草』の影響かしら。 やや弱いと思われる品種に、紫雲の重が載っていました。 ウチでも品種不明で譲渡を受け、花を見て、私が紫雲の重と勝手に同定した株がありますけど 2007-2008と3年間1輪のままで2009年にやっと2輪となりました。 芽は大きく花も立派に咲くのですが、繁殖力の弱さには納得するところです。 もっとも弱いものに、玉珊瑚が挙っていますけど、ウチではよく増えている気がします。 とはいえ芽は小さいので、まだ鉢慣れしてないのかもしれません。 興味深かったことは、P67に書かれた 柴山政愛家門外不出として‘有名だった’『ふじごえ』に関する記述です。 『ふじごえ』は自然絶種。 また富士越の由来も書かれています。 因に、『ふじごえ(富士越え)』は、『ふちごえ(縁越え)』をもじって名付けられたもの、 即ち、花梗が垂れ下って、鉢の縁を越したことによるそうです。 ↑ 私は富士山のように日本一大きな花を更に越えた大輪花、という意味かと思っていましたが 全然違ってました。当て字どころか、もじっていたとは驚きです。 柴山政愛家門外不出として‘有名だった’『ふじごえ』は自然絶種した。 鳥居著『色分け花図鑑 桜草』P90富士越の項に、 『この花が広まったのは1952年にさくらそう会が発足して、苗の配布に努めたことによる。』 『なお、この富士越は実は二代目で、初代が枯れたのちに、再び命名されたものとされる。』 と掲載されています。 絶種した『ふじごえ』の二代目が登場する摩訶不思議。 柴山政愛氏が門外不出一子相伝で守ってきた『ふじごえ』は自然絶種したと広言し 加藤亮太郎氏は‘有名だった’と過去形で表記している『ふじごえ』。 それを、正しい品種を伝えることが趣旨でもあるさくらそう会が 『再び命名されたものとされる』 と、出所不明の曖昧な品種の配布に尽力したことは、如何なる所存だったのか。 このような文言は鳥居著『色分け花図鑑 桜草』P153無礼講の項にもあります。 『古花の無礼講は現存せず、現在のものは二代目である。』 理解に苦しみます。 浪華さくらそう会の会長であり、ご自身も実生の新花を作出されている山原茂氏は 自身のBlog『日本の桜草と美術』で、下記のように記されています。 2010年04月27日『大和神風は大和神風ー改名してはならない』より抜粋。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ものの名前というのは一旦名付けられれば変えないというのが世の不文律で、 名と実が一致してこの世界が成り立っているからである。 実生家が自ら生み出した花に私的に名前をつけても、 それを世に送り出せば,その名は公的に存在するものとなる。 そうなると実生家自身と言えども自己の都合で それを変えるわけにはいかない。この原則は誰も曲げられない。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- |
保土田古墳群めぐり2 from 楽老 (2011-1-15 6:57) |
今日は曇りの予想ですが今は無風快晴で今朝も厳しく冷えています。保土田古墳群の二番目は保土田八幡塚古墳です。この古墳は南北に軸を持ちます。またこの古墳は創建時の姿に復元されています。
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40回記念の展示会でした。 from いい、おしめりですネ・・・・・・・・ (2011-1-14 21:45) |
今回は記念の展示会で過去の展示案内用葉書が展示されていました。 出版社が展示盆栽を撮影していました。 1月は花の咲く木々も少ないなかで、河津桜が咲いていました。 |
全国小品盆栽名品展 from いい、おしめりですネ・・・・・・・・ (2011-1-14 21:32) |
第40回全国小品盆栽名品展を見学に上野グリーンクラブにいって来ました。 展示会場は、撮影禁止でなかったので会場風景を写してきました。 冬の季節で花の咲く品種が少ない中で、河津桜、梅、黄梅などの花が咲いていました。 |
vol1.鳥居恒夫 from 庄内の日本桜草栽培日誌 (2011-1-14 19:18) |
桜草は古典園芸なら、不変のまま後世に伝え残すことも現代の務めと、若輩ながら想うわけでして、先人の書物は貴重な資料であり財産でもあります。 若輩者の私には2006年2月に発行されたさくらそう会世話人代表鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』(学習研究社)と、昭和51年(1976年)5月初版浪華さくらそう会の会長を努めた鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』(NHK出版)の2冊は、現在入手できる先輩の教えの書であり後世に残る貴重な資料のひとつです。 桜草の園芸品種栽培を始めたばかりの私にとって、綺麗な画像が満載の『色分け花図鑑 桜草』を手にした時の歓びは大きく、四六時中暇さえあれば眺めていたほどです。一方、文字ばかり多くて古くさい言い回しと内容の『日本サクラソウ』は、桜草の園芸品種栽培を始めたばかりの私にとって難解で面白くなく、正直いって、購入後に読み返すとは思えず、再三悩みました。桜草のことを書くBlog管理者として仕方無く購入したというのが本音です。 ところが、心情は徐々に大きく変化します。 この図鑑と称す『色分け花図鑑 桜草』は、眺めている内は大変良かったのですが、読解しようとすると腑に落ちない一文が多々表れます。 桜草の園芸品種栽培経験が非常に浅い私でさえ疑問に感じる解説文が多く、鳥居氏より先輩にあたるであろう鈴鹿冬三氏を蔑む姿勢が行間に溢れているように感じました。鈴鹿冬三氏個人というより、代々の栽培者に対する畏敬の念を行間に感じないのです。さくらそう会画像協力の図鑑であるべき処に私的な感情が書かれているように思えます。 図鑑としての画像優先ということもあり、充分な解説を記載できないということもあるでしょうが、断定する根拠が述べられていないのことが、非常に残念でなりません。ゆえにその解説を鵜呑みにはできませんし、『日本サクラソウ』と読み比べるだけでも、違う見解をみつけることができます。例えば前代未聞。鈴鹿冬三氏は『日本サクラソウ』の中で前代未聞を長柱花、類似品種の木枯を短柱花と記載していますが、鳥居氏は『色分け花図鑑 桜草』で全く逆の説明をしています。当然木枯の芽変わり紅単色の花大将にも影響が及び大事態です。先輩である鈴鹿冬三氏の主張=古い本の内容を否定されるのなら、鳥居氏とさくらそう会は何らかの形で根拠を示すべきでしょう。 鈴鹿冬三氏は奈良の高鴨神社の宮司を務めた方で、『日本サクラソウ』を読みますと、鈴鹿冬三氏の義父である鈴鹿義一氏は、京都の勧修寺氏を通じて、東京府巣鴨上駒込染井の常春園伊藤重兵衛氏から大正初期以降から約250品種を購入し、現在に伝わると書かれています。本文には大正13年3月(1912年)の請求書と領収書の写真が紹介されています。 『日本サクラソウ』に購入した品種の目録は記載されていませんが、古い品種のひとつである前代未聞が伊藤重兵衛氏から伝わったと推察するのは容易なことではないでしょうか。『日本サクラソウ』は1976年初版ですから、鈴鹿家=高鴨神社では江戸で代々植木屋を営んできた常春園の桜草を64年受け継いできたことになります。ちなみに鳥居恒夫氏は1938年生まれで1952年(昭和28年)さくらそう会創立以来の会員。 さくらそう会世話人代表鳥居恒夫氏は、『色分け花図鑑 桜草』の巻頭でこの本を『現代の桜草銘鑑ということができる。』と自画自賛され、『信頼して利用していただきたいと思う。』と書いているが、到底信頼おけない内容なのである。写真集としては素晴らしい本ですが、図鑑としては後世に残してはいけない悪書であり、図鑑とするなら誤った情報を後世に伝えないためにも即刻廃盤とすべき本でしょう。 |
保土田古墳群めぐり1 from 楽老 (2011-1-14 6:59) |
寒く乾燥した日々が続いています。今年になってまだ一度も雨も雪も降りません。昨日、冷たい榛名颪の中、国指定史跡保土田古墳群を巡ってきました。この古墳群は井野川上流左岸に位置する、二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の3基の大型前方後円墳からなっています。
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