園芸花卉ブログ - 宴遊日記の安永十年、春
まだ、桜草園芸が始まる前?
この日記が始まるのが、安永二年(1773年)。桜草の文献でいえば、伊藤伊兵衛の「花壇地錦抄」(1695年)後で、いくつかの本草図で桜草が知られてから、富本節の桜草家紋人気や江戸名所花暦(1827年)に尾久の桜草見物が登場する前までの期間になる。
当然、番付がでるほどの園芸趣味となる前の自然の中に見られる桜草が流行となっていく途上という期間にあたる。
六義園でも「菊」や「梅」の鉢物を貰う話はあっても、安永二年の当初は、桜草の記述がでてこない。所が、日記も最後の安永十年(天明元年、1781年)から翌年の天明二年の春になると「桜草鉢」を貰う記事や尾久で桜草を見物する記事まで登場するようになる。
尾久での桜草見物の話は、「さくらそう文化研究所」の「大名屋敷と園芸」のコーナーで詳細を紹介してみたい。是非、この当時の隠居した大名の桜草見物の実態をご覧ください。