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キキョウが登場する最も古い文献、古典が「万葉集」といわれているようです。山上憶良の歌、2種と詠み人知らずとして東歌など3種に登場します。まずは、良く知られている山上憶良をご紹介しましょう。

秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびおり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」(山上憶良 万葉集  一五三七 巻八)
意味:秋の野にとりどりに咲く花を、指を折りながら一つひとつ数えてみると、七種類の花があった。

萩の(が)花 尾花 葛花 瞿麦の(が)花 女郎花 また藤袴 朝貌の(が)花」(山上憶良 万葉集  一五三八 巻八)

読み: はぎのはな おばな くずはな なでしこのはな おみなえし また ふじばかま あさがおのはな

一首目は、「五・七・五・七・七」の短歌で、二首目は、「五・七・七、五・七・七」の旋頭歌とされる歌です。

二首目に登場する「朝貌の花」は、
「アサガオ(朝顔)」とも「ムクゲ(木槿)」とも「キキョウ(桔梗)」とも「ヒルガオ(昼顔)」ともいわれ、諸説がありますが、一般的には「キキョウ(桔梗)」を指すとするのが有力な説で、幾つかの辞典類でも「キキョウ」とするものが多く見られます。その根拠は、平安時代の漢和字書『新撰字鏡』(892〜900)に「桔梗、阿佐加保又云岡止々支」とあることなどや日本にアサガオ(牽牛花)が鑑賞用の花として認識された時期が遅いと考えられるからのようです。下剤としての種子(牽牛子)の中国からの渡来は古かったとしても、万葉集に七夕の牽牛の記述もあり、当然万葉集の時期に渡来していれば、中国の「牽牛花」という名称が使われていただろうと考えられます。その意味でも、キキョウを意味していたに相違ないとされたようです。
また、撫子(ナデシコ)も中国から渡来した石花(セキチク、和名:唐撫子)の漢字名の「瞿麦(クバク)」で表現されています。中国で薬として知られています。中国では、開花時期地上に出ている部分を刈りとって乾燥したものを、瞿麦(くばく)といって生薬として用いるようです。さらに果実が稔熟した頃、刈り取り、紙の上で風乾して種子を集め、さらに乾燥したものを「瞿麦子(クバクシ)」としても薬に使いました。

山上憶良と億良にとっての「桔梗=瞿麦」

「秋の七草」も「瞿麦や朝貌」も万葉集では、山上憶良によって、初めて登場するようです。
初めてということは、数多い万葉集の歌人にとって、良く見知った花というよりは、山上憶良にとって、特別な花と考えた方が良いように思えます。桔梗を知るには、この人物を知ることが先ず必要のようです。

山上憶良とはどんな人物だったのでしょう?




<この項、続く>
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