染井の植木屋の衰退とともに幕府の御用植木職人、江戸三大植木職人として、登場したのが、九段の斎藤彦兵衛、向島の萩原平作と三河島の伊藤七郎兵衛の三名です。
この時代は、普請や庭づくりを盛んに行った第十一代徳川家斉公の治世で、その御用職人となることは、一気に植木屋の頂点に上りつめることにもなったようです。

なぜ、この三名が御用職人として登用されたのでしょう?現在でも公共工事の落札は様々兼k力者の思惑が入り乱れるのが実際です。柳沢吉保が権勢を誇った時代から、倹約をなによりとした寛政時代に突入するとともに登用される職人も一気に様変わりしたのです。その背景には、どのような事情があったのでしょう。
そのことを知ることがこの時代における植木屋の存在をより詳しく説明してくれるように思います。

以下の章では、この三名をより詳しく研究、調査し、その課程でこのその前の時代からこの時代への変化の中で社会における植木屋の存在やその居住した地域や贔屓した時の権力者や大名、寺社などの実態を発見していきます。
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