トップ  >  品種別研究  >  「ナ行」の科名の品種  >  「ナデシコ科」研究  >  ナデシコ属 (Dianthus)  >  風土区分:日本  >  時代区分:平安時代  >  万葉集に見る「なでしこ」:その1 全貌を概観する<短歌編>
万葉集に登場する「なでしこ、撫子、瞿麦、石竹」はどの程度の数になるのでしょう?その謡い手は?その時期、内容は?

その1では、その全てを一覧にして、先ず概観してみましょう。
まずは、長歌もあるのですが、なじみの深い短歌をご覧ください。

<万葉集より、転載>

大伴家持の第三巻での歌を除けば、最初は、第八巻に登場します。

あの、山上憶良の秋の七草を詠った、

秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびおり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
(山上憶良 第八巻 1537)
意味:秋の野にとりどりに咲く花を、指を折りながら一つひとつ数えてみると、七種類の花があった。
に続く、旋頭歌(577577)としての以下の歌です。

萩の(が)花 尾花 葛花 瞿麦の(が)花 女郎花 また藤袴 朝貌の(が)花」(山上憶良 第八巻 1538)
読み: はぎのはな おばな くずはな なでしこのはな おみなえし また ふじばかま あさがおのはな
という歌です。第八巻では、この歌の前に既に大伴家持も「なでしこ」を謡っていますが、それ以外の歌人では、山上憶良が最初でしょう。

そして、それ以外の歌人も続きます。

射目立てて 跡見(とみ)の岳辺(をかべ)の 瞿麦(なでしこ)の花 総(ふさ)手折り 吾は去(ゆ)きなむ 寧楽(奈良)人の為
(第八巻/1549 紀鹿人)

高円の 秋の野の上の 瞿麦の花 うらわかみ 人の挿頭(かざ)しし 瞿麦(なでしこ)の花
(第八巻/1610 丹生女王)

第十巻では、「読み人知らず」でも詠われるようになります。

野邊見れば 瞿麦の花 咲きにけり 吾が待つ秋は 近づくらしも
(第十巻/1972 読人知らず)
隠りのみ 恋ふれば苦し 瞿麦 の花に開き出よ 朝な旦な見む
(第十巻/1992 読人知らず)
見渡せば 向ひの野邊の 石竹の 落らまく惜しも 雨なふりそね
(第十巻/1970 読人知らず)

しかし、なんといっても、ナデシコといえば、大伴家持なのです。
万葉集中、非常に多くの歌に詠んでいるのが大伴家持です。もっとも早くから「なでしこ」を詠んでいる歌人なのです。最初は、第三巻。そして、第八巻と続きます。

秋さらば 見つつ思(しの)べと 妹が殖ゑし
屋前(やど,には)の石竹(なでしこ) 開(さ)きにけるかも
(第三巻/464 大伴家持「砌(みぎり)の上(ほとり)の瞿麦の花を見て作る歌」)

石竹の その花にもが 朝な旦な 手に取り持ちて 恋ひぬ日無けむ (第三巻/408 大伴家持)

吾が屋外(やど)に 蒔きし瞿麦 何時しかも 花に咲きなむ なそ(比)へつつ見む
(第八巻/1448 大伴家持)

吾が屋前の 瞿麦の花 盛りなり 手折りて一目 見せむ児もがな
(第八巻/1496 大伴家持「石竹花歌」)

瞿麦は 咲きて落(ち)りぬと 人は言へど 吾が標めし野の 花にあらめやも
(第八巻/1510 大伴家持)

朝毎に 吾が見る屋戸の 瞿麦の 花にも君は ありこせぬかも
(第八巻/1616 笠郎女大伴家持に贈る歌)

また、第十八、第十九、二十巻には、大伴家持も含め、その他の歌人のなでしこの歌も見られるようになります。


ひともと(一本)の なでしこう(植)ゑし そのこころ(心)
たれ(誰)にか見せむ とおも(思)ひそめけむ
(第十八巻/4070 大伴家持。「庭中の牛麦花(なでしこ)を詠む歌」。牛麦は、瞿麦と諧音)

なでしこは秋咲く物を君が宅の雪の巌にさけりけるかも
(第十九巻/4231 久米広縄。雪を積んで巌を彫刻し、そこに草や木の花を彩り作った)

雪の島巌に殖ゑたるなでしこは千代に開かぬか君が挿頭(かざし)に
(第十九巻/4232 遊行女(あそびめ)蒲生娘子。同上)

(755)五月九日兵部少輔大伴宿禰家持の宅に集飲する歌

わがせこ(背子)が やど(宿)のなでしこ ひ(日)なら(並)べて
あめ(雨)はふ(降)れども いろ(色)もかは(変)らず
(第二十巻/4442 大原真人今城)
ひさかたの あめ(雨)はふ(降)りしく なでしこ
いやはつはな(初花)に こ(恋)ひしきわ(吾)がせ(背)
(第二十巻/4443 大伴家持)

同月十一日、左大臣橘卿・右大弁丹比国人真人の宅に宴する歌三首

わがやど(宿)に さ(咲)ける なでしこまひ(幣)はせむ
ゆめはな(花)ち(散)るな いやをちにさ(咲)け
(第二十巻/4446 丹比国人真人)

まひ(幣)しつつ きみ(君)がおほせる なでしこ
はな(花)のみと(訪)はむ きみ(君)ならなくに
(第二十巻/4447 橘諸兄)

十八日、左大臣の 兵部卿橘奈良麿朝臣の宅に宴する歌三首

なでしこが  はな(花)と(取)りも(持)ちて うつらうつら
み(見)まくのほ(欲)しき きみ(君)にあるかも
(第二十巻/4449 治部卿船主)

わがせこ(背子)が やど(宿)のなでしこ ち(散)らめやも
いやはつはな(初花)に さ(咲)きはま(増)すとも

うるはしみ あ(吾)がも(思)ふきみ(君)は なでしこ
はな(花)になそ(比)へて み(見)れどあ(飽)かぬかも
(第二十巻/4450、4451 大伴家持)

<転載、以上>
次の章では、これらを「歌人」「詠われた時期」「場所、背景」などから、ひとつずつ、解析していきましょう。
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