<Wikipediaより、転載>

タイサンボク(泰山木、大山木、学名:Magnolia grandiflora)とはモクレン科の常緑高木。

【特徴】

北米中南部原産。花期は5〜7月頃。葉の表面には光沢があり、裏面は毛が密生しており錆び色に見える。日本では公園樹としてよく植栽される。放置すると樹高20m以上にもなるが、よく分枝して剪定にも耐えるため、庭木として植えるところも多い。
【英語名】:Southern magnolia

タイサンボクはアメリカ合衆国南部を象徴する花木とされ、ミシシッピ州とルイジアナ州の州花に指定されている。ミシシッピ州は、州内にタイサンボクが多いことから、タイサンボクの州 (Magnolia State) という愛称がある。また、ミシシッピ州の州の木である。

近縁種にヒメタイサンボク(学名M. virginiana)があり、こちらは落葉小高木である。

◆画像◆


<転載、以上>

*Wikimedia Commonsにあるタイサンボクの画像は、こちらから


この品種の漢名は、洋玉蘭または、荷花玉蘭というようです。
その意味で、以下のヤサシイエンゲイからの引用のように、上野公園にあるグラント将軍の夫人の植樹したタイサンボクも「グラント玉蘭」と呼ばれています。
「泰山木」という名前は、日本で命名されたようです。一説では、昭和初期に東京の小石川植物園で園芸主任を務めていた人が初めて使ったといわれているようです。その優雅で雄大な樹形から、中国の泰山を連想しての命名かは、不明です。
植物学者の牧野富太郎博士は、この品種のタイサンボクという名前に「大盞木」の字を充てています。
日本でのタイサンボクの歴史は、ヤサシイエンゲイ他からの情報を以下に転載します。



<ヤサシイエンゲイより、転載>

【仲間】 

日本では変種のホソバタイサンボク〔M. grandiflora var. laceolata〕が多く植栽されています。両者の違いはホソバ-は葉が細くて薄い、葉縁が波打たない、葉裏に生える毛が少なく後に脱落する、とか言われますが、ぱっと見よくわかりません。園芸品種の’リトルジェム’は樹高の低い矮性種(わいせいしゅ)で、木が若い内から花を咲かせます。大きめの鉢植えで育てることもできます。
近い仲間のヒメタイサンボク〔M. viginiana〕は花や葉が小型です。やや耐寒性が劣り、寒冷地では落葉することがあります。

【由来・歴史】

タイサンボクは漢字で「泰山木」「大山木」と書きます。由来ははっきりしませんが、大きな花や葉を付け大木になる姿を大きな山になぞらえた、山のような泰然とした姿から名付けられたと言われます。
また、花が大きな盞(さかずき)の形をしているから「大盞木」と書いてタイサンボクと読む、という説もあります。

日本には明治のはじめに入ってきて、現在では広く植えられています。
明治12年8月、アメリカ第18代大統領だったグラント夫妻が来日した折りに、上野公園内に将軍がローソンヒノキ、婦人がホソバタイサンボクを植樹され、現在もグラント将軍植樹碑とともに当時の木を見ることができます。このとき植樹されたタイサンボクは「グラント玉蘭」と名付けられています。


<転載、以上>

北米原産のこの品種がイギリスに紹介されたのは、マーク・ケイツビーによって、1726年頃とされています。以下にこの植物採集家の情報をWikipediaより、転載します。

<Wikipediaより、転載>

マーク・ケイツビー(Mark Catesby、1682年3月24日 – 1749年12月)は、イギリスの博物学者である。1731年から1743年の間に、北米の動植物の自然史の著書『カロライナ、フロリダ、バハマ諸島の自然誌』(Natural History of Carolina, Florida and the Bahama Islands) で知られる。

生涯

ケイツビーはエセックス州のCastle Hedinghamに法律家で地主のジョン・ケイツビーの息子に生まれた。博物学者のジョン・レイと知り合い自然史に興味を持ち、ロンドンで自然史を学んだ。父親が死んで充分な遺産を受け取っており、アメリカに住む人物と結婚した姉とともに1712年にアメリカに渡った。西インド諸島や、バージニア植民地に住んだ後、1719年にイギリスに戻った。
バージニア植民地で、採集した標本は、園芸家のトーマス・フェアチャイルドに送ったことによって、科学者のサークルで知られるようになった。ウィリアム・シェラードの推薦で王立協会の企画したカロライナ植民地の植物採集の計画に参加した。カロライナのチャールズタウンに移住し、アメリカ大陸北東部各地、西インド諸島で植物や鳥類を採集した。標本はロンドンのハンス・スローンに送られた。1726年にイギリスに戻った。
帰国後7年かけて、著書の準備を行い、出版の資金は王立協会の会員から無利子で借りた。著書はフォリオ版(ほぼA3の大きさ)の着色された図版を用いた。自ら銅版の作り方を学び、最初の8枚の図版は植物だけが描かれたが、それ以後は植物の背景に動物の図が加えられた。第1巻は1731年に出版され、1733年に王立協会の会員に選ばれた。第2巻は1743年に完成した。1746年にアメリカの友人ジョン・バートラム等から送られた標本で補遺版が作られた。

<転載、以上>
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