【井上清十郎氏と小金井の植木農家】

現在、井上清十郎氏の孫にあたる井上一郎氏が、小金井の東町で植木業「清光園」を営んでいることが解りました。その一郎氏にしたヒアリング内容を以下にご紹介します。

<ヒアリングから>

井上清十郎は、祖父で代々植木を商っていたということではなく、祖父の代からと聞いています。

埼玉の安行まで大八車を押して、苗木を買い付けに行っていたという記憶はあります。父の代には、親族でも植木を商うものが多く、今でも近くで親戚が植木業を続けています。私は昭和27年生まれなので、亡くなった父・国治に聞けたらもう少し、詳しい祖父の話ができたかもしれません。父は、祖父清十郎の四女の英子と結婚しました。養子として家業を継ぎました。私は国治の長男です。植木業は、祖母のシンの親戚にも多く、同じ東町の近所の植木業者である美松園(井上明人)さんも確か従妹になると思います。
もう、父の代の先輩にあたる方々は、既に高齢で、お話を聞かせてもらえるかどうかは難しいところでしょう。

古くからの業者といえが、調布の浅田さんは、此の辺りの植木業者を引っ張っていく存在でした。小金井の古い事情は、小金井植木組合のメンバーでもある貫井町の「村越園」(貫井北町4丁目の学芸正門脇の植木生産農家)さんや鈴木二郎さんか関野町の杉山さんに聞かれると良いのではないかと思います。


【江戸からの栗林について】

小金井の東町から、関野町にかけては、御栗林として、献上栗で知られる場所でした。植木業として、栗の苗木についてのお話を伺いたいと思ったのですが、井上氏自体はその時代のことは全く分からないということでした。確かに栗林が多く、現在の農工大通りも以前は、栗山通りと呼ばれていたり、東小金井駅の設立に協力した地主は、栗林を持っている大地主だったということです。

江戸時代の小金井の栗林については、小金井市誌に情報がありました。詳しくは、こちらをご覧ください。

<この項、続く>
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明治期の植木栽培の萌芽期