トップ  >  講義資料庫  >  基礎課程講義資料棚  >  中学高等学校向け推薦図書(基礎学習用)  >  講義資料A:「花と木の文化史」(中尾佐助著)  >  講義資料:日本の花文化(園芸文化)成立の骨組みを知る
その土地の花は、元々は、その自然の風土、土地、気候などに適したものが咲いています。その意味で、日本の風土に合って、原生種として育ってきたものが本来の「日本の花」ということになります。

ただ、これまで見てきたように実際に「園芸」として、その土地で育種、広められてきた花の品種には、「外来(舶来)の品種」も多いのです。どちらかといえば、舶来品種の方が、珍重され、園芸品種としては、多く発展してきたといえるかもしれません。
ただ、あくまでもその花を育てる風土は、その土地の風土ですから、その風土に合ったものとして、その後に「定着」「変容」してきた花というのが、その土地の花の実際なのでしょう。

「日本の花文化」とはどのようなものなのでしょうか?世界の花文化と比較して、特徴といえるものはあるのでしょうか。

そのヒントとなるのは、花文化にかぎらない「日本文化」の特徴、世界の文化との相違点ではないでしょうか。


司馬遼太郎氏は、「日本とは一体どんな国なのか」という命題を追い続けたその一連の著作「この国のかたち」で日本文化を以下のように説明しています。

<「この国のかたち(一)より転載」>

日本人は、いつも思想は外からくるものだと思っている。
とはまことに名言である。ともかくも日本の場合、たとえば、ヨーロッパや中近東、インド、あるいは中国のように、ひとびとの全てが思想化されてしまったというような歴史をついにはもたなかった。これは幸運といえるのではあるまいか。
そのくせ、思想への憧れがある。

日本の場合、思想は多分に書物のかたちをとってきた。
奈良朝から平安初期にかけて、命を賭して唐との間を往復した遣唐使船の目的が、主として経巻書物を入れることだったことを思うと痛ましいほどの思いがする。
また、平安末期、貿易政権というべき平家の場合も、さかんに宋学に関する本などを輸入した。さらには、室町期における官貿易や私貿易(倭寇貿易)の場合も同様だった。

要するに、歴世、輸入の第一品目は書物であり続けた。思想とは本来、血肉になって社会化されるべきものである。日本にあってそれは好まれない。そのくせ思想書を読むのは大好きなのである。こういう奇妙なー得手勝手なー民族が、もしこの島々以外にも地球上に存在するようなら、ぜひ訪ねて行って、その在りようを知りたい。


<転載、以上>

花の場合も多くは、その書物とともに輸入されてきました。
このことは、ヨーロッパ、西欧のプラントハンターなどによる植物採取と比較すると面白いでしょう。

彼らは、実物とその種を採取してきました。そして、それらを自らの文化(貴族文化だが)の中に植物学として体系化(分類し、植物体系を学問として確立させ、標本を植物園でのみ育て鑑賞)してきたのです。
彼らにとって、日本の花文化に関する書物など、その文化は未発達であり、言語としても理解・共有できないもの、その花々の育った生活文化(とそれらを伝える書物)は、相いれないものとし輸入してきませんでした。
<日本からの文化が書物として、初めて世界に影響を与え、広まったのは、「漫画」かもしれません。>

江戸時代に「江戸(東京)」で園芸が流行した背景も「中国をはじめとする海外園芸文化」のみならず、「京都・公家社会」と「地方文化としての各藩の園芸」が江戸に輸入され、「外来文化(外部との交流の結果)」として花開いたといえるではないでしょうか。


「舶来文化」としての「花文化」
「書物(文学、宗教に関わる書物や絵図、図案、本草学、本草書)」で輸入され、その後日本という風土の中で変容し、独自の発達を遂げた「花文化」
それが、「日本の花文化を発見する」ためのキーワードではないでしょうか。
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