江戸時代、徳川家の猟場として利用され、承応年間に神田上水が引かれると天領(幕府直轄地)となったのが、井の頭公園の周辺です。

井の頭公園の西側にある「御殿山」の雑木林もこうした事情から、その植生を変化させました。以下に「公園・神社の樹木」からの「御殿山」解説をご紹介します。

<転載部分>

井の頭池の西側には「御殿山」という雑木林がある。ただし山といってもほとんどが平坦な台地である。御殿山の名の由来は、江戸時代にこのあたりが徳川家の猟場であり、その休憩所(御殿)が造られたからだ。当時は、あまり木が生えていない広大なカヤ場(ススキ草原)だったようで、三大将軍家光がこのあたりでシカ狩りをしたときには、四十三頭ものシカが捕獲されたという。今では信じられないような話である。

承応年間(1852〜1654年)に神田上水が引かれると、その水源となっていた御殿山一帯は、天領となり保護されるようになった。このため。カヤ場だった御殿山は、樹木が生い茂るようになっていったのだろう。江戸時代の御殿山は、[マツ、コナラ、サワラなどが混じる森で、百姓が税金を払って下草を刈り取っていた。江戸時代の後期となると、かなり大きなアカマツがたくさん生えていたようだ。

<転載、以上>

この江戸時代の後期の松などの林が、別章で紹介した『江戸名所図会』のマツ林となったようだ。
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江戸後期の行楽地だった井の頭
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江戸時代以前から、江戸時代の植生