何のために庭の類型を知るのか

各文化ごとに自らのテリトリー、つまり「庭」の概念が異なっています。
そのことがそのまま、その文化圏における園芸文化の発展に影響を与えてきた。
そのことを中尾佐助氏は、実際の各文化圏での園芸文化史を研究する課程で発見されたようです。

どの文化圏でも園芸がその文化発展と同時になんだかの発展をとげたのではなく、園芸が発展した文化圏と未発達な文化圏が存在していることを知り、それをその文化圏独特の「庭」の様式に起因すると考えたのです。

文化人類学的に、各文化圏で発達した「庭」(=自らのテリトリー)を類型的に理解することがその文化圏(国や地域)ごとの園芸の発展とその歴史を理解する手掛かりになるとしています。


大きく全世界の「庭」の類型は、4つに区分できます。

第1の類型(様式)は、遊牧民の場合です。

庭をテリトリーと見た場合、遊牧民の場合は、その住居のテリトリーは未分化状態で、その範囲は無限大といえるでしょう。中尾氏は、この類型を「フラニー=モンゴル型」と命名しました。

第2の類型(様式)は、裸地の共有地があり、そこが作業場、儀式場となり、家屋はその共有地を囲んで周りにたっている様式です。この様式は、「ピグミー=パプア型」と命名されました。

第3の類型(様式)は、家屋の外周部にテリトリーがあるもので、塀や柵のある場合とそれが欠如する場合があります。この地帯の農業は、耕作型で、畜産は従属的です。庭の敷地が広いので果樹や菜園、若干の花木を植えたりするには便利な庭となっています。この様式は、「ニグロ=日本型」としました。
この他にも外周型の庭をもつ文化は、畜産が重要な位置をしめたアルプス以北の西ヨーロッパに見られました。西ヨーロッパでは、歴史以来畜産が基本的に重要であったにも関わらず、このような住居様式が基幹となっていました。その様子は、革命前のロシアの農民の住居に見られます。また、フランス、イギリスには、現在も貴族や資産家の巨大な面積をもつ田舎の屋敷があり、広大な外周庭園やブドウ園などをもっています。西ヨーロッパは、十五世紀頃から花卉園芸が発達し始めますが、その住居形式が外周型庭園でした。


第4の類型(様式)は、テリトリーを家屋や堅固な塀で囲った内包的な内庭型です。
その典型は、中国の華北地方の標準的な「四合院(しごういん)」と呼ばれる住居様式です。中庭は、「院子(ユアンズ)」と呼ばれ、地表は、敷石や煉瓦で敷き詰められていて、草木を植える場所は限られている。この様式では、上流階級にかぎり、広大な土地を背景に院子などの囲われた場所を専用の庭として、花木を植えることができ、上流階級にのみ、庭を楽しむことができたと考えられます。また、古代から大文明が華開いた西アジア、地中海地域でもこの様式が主体です。この地域では、庭の機能は、たぶん家畜の夜の泊まり場所からはじまったものだと考えられます。家畜を守るための堅固な壁に囲まれた庭が必要だったと考えられます。同時に麦作農業の地帯でもあります。収穫した麦の脱穀や風選などの作業は、住居の庭では狭くてできません。それでその作業は、麦畑の一部を使って行われ、これを脱穀床(スレッシング・フロアー)と呼びました。
こうした様式は、アフリカ北岸から、中央アジアのチベットを通り、インド、中国に分布します。それでこのテリトリー内容型類型を西端の北アフリカのアルジェのカスバのような立体的な住居形式と中国北京の四合院で埋め尽くされた住宅街「胡同(ホートン)」から採って、「カスバ=フォートン(胡同)型」としました。

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