第一章の「帰化植物の脅威」では、世界での帰化植物に対する警告が語られます。その一部を割いて、日本での帰化植物の脅威を「日本の帰化k植物」という項で紹介しています。

以下にその部分からの転載をします。

<転載部分>

現在、日本に分布する花の咲く植物は、いろいろな説はありますが、私はおよそ4700種とみております。
そのうち四分の一に相当する1,200種ほどは帰化植物らしい。さらに、そのうち800種ほどは明治以降の帰化植物です。

<転載、以上>

として、西洋に開かれた明治以降の帰化植物の侵入を紹介しています。そして、続いて、それ以前にも多く(400種)の帰化植物があったことを示し、いくつかの具体的な帰化植物の渡来の例とともに[siza=medium]「史前帰化植物」[/size]という概念を以下のように、紹介しています。その部分を転載します。

<転載部分>

たとえば、江戸時代にクローバーが入ってきております。
クローバーは別名ツメクサ。白花のシロツメクサや赤紫色のアカツメクサがよく知られていますが、江戸時代にもたらされたのはシロツメクサの方で、アカツメクサは明治時代になってからの渡来です。

<転載、以上>

そして、それらの和名と渡来の仕方をも以下のように解説してくれています。

<転載部分>

和名のツメクサは、どういう意味かといいますが、詰め物をする、つまりパッキングをするということです。
当時、オランダからガラスを運んできたときにガラスのパックイングにクローバーを詰めてきたそうです。それで広がったのです。
私の恩師・前川文夫博士は、ヒガンバナについても、日本に来たルーツのひとつはパッキングではないか、中国から日本に陶器が運ばれてくるとこに、ヒガンバナの枯れた葉を詰めていたのではないか、そのときに球根もまじっていたのではないかと考えられました。
ヒガンバナの葉は花が終わった秋に出て、冬から春にかけて育ちます。乾かしてもあまり形がくずれず、また有毒で虫もつかないので、パッキングに適しているのでしょう。

(中略)
ヒガンバナは、でんぷんを含みますが、実は毒ももっています。第二次世界大戦中、風船爆弾をアメリカまで飛ばしましたが、そのとき貼り合わせた糊は、お米ではもったいないので、ヒガンバナのでんぷんを利用しました。ヒガンバナの中にはリコリンという毒があるので、これで虫を殺せるのです。障子を貼るときの糊だとか、なにかを貼り合わせるときの糊にはこれを使っていると虫がつきません。
あるいは、お墓や土手、畦に穴を空けられると水が漏れていけないので、そこにヒガンバナを植えて、水漏れを防いだ。あるいは昔は土葬していたので、ご遺体が野良猫や野犬に食い荒らされるのを防ぐためにヒガンバナを植えて、お墓を守ったのではないかということです。そうゆう有用性のために中国から持ち込まれたのかもしれません。
あるいは、ユキノシタ、ココモチマンネングサ、あるおいはドクダミなどの人里植物も薬として中国からもたらされたと思います。それに観賞用にシャガ、またはシャンプーとしてフジバカマがもたらされたと考えられます。

<転載、以上>

フジバカマは、良い香りがするので、中国では東洋ランのように扱われたとしています。後にフジバカマは「蘭草」、ランは、「蘭花」と区別したようです。日本にもたらせれたのは、702年に遣唐使として中国に渡った山上憶良が、中国で乾燥させたフジバカマを髪を洗うシャンプーとして使っていたの見て、土産としてもちこんだからという説も紹介しています。

そして、その恩師の前川博士が提唱した「史前帰化植物」という概念を以下のように紹介しています。

<転載部分>

前川博士は、「史前帰化植物」という概念を唱えられました。これは、「いつの間にか日本にもたらされ、記録に何も残っていない、誰がいつ持ってきたか不明な植物」を総称したものです。
それらの起源は、弥生時代、もっと古くは縄文時代にさかのぼるかもしれません。縄文時代に日本に渡来した植物は、たとえばヒョウタン、あるいは豆の緑豆、稲もきています。
いろいろな植物が中国や朝鮮半島からきているので、そのとき一緒にくっついてきた雑草のたぐいがあるとみたのです。
人里にしかない植物でも身近な植物、たとえば、スベリヒユ、ナズナ、ハハコグサ、ツユクサなど山の中にはもともとなかった植物が考えられます。

<転載、以上>
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