【いままで学んできた学校での「歴史」とは何かを考える】
当然、教科書に書いてあった「歴史」、授業で教えられた「歴史」がそれでしょう。
「歴史認識」などという表現もならったかもしれません。
まず、最初にWikipediaで「歴史」とは何を意味するかを調べてみます。
以下にその基礎的な概念をご紹介します。
<Wikipediaより転載>
歴史の意味
「歴史」とは、少なくとも二つの意味を有している。一つは、現実に存在する「もの」が変遷する様そのものを言い換えて「歴史」と定義するものである。しかしその経緯は保存されることは無く、やがて消える。もう一つの「歴史」の意味は、この消え行く変遷を対象化して記述・記録された結果を指し、「歴史記述」と言うことができる。
記述・記録される、または複数残した何らかの経時的事象を分析・系列化して初めて「歴史」を構築する。ある少数民族が文字または別な手段の歴史記述を残さず、しかも史料をただひとつしか示さなかったとすれば、彼らが現実に存在し「歴史」を刻んでも、後世の文明にとって存在の歴史はあると推測できても、歴史の変遷を知ることは出来ない。それどころか痕跡を残さなかったものは、その存在さえ無かったも同然である。
このように後世に認識できる「歴史」とは、少なくとも認識可能な出来事の断片が残存していることが必要な条件となる。
これには濃淡があり、対象・時代・地域などが影響し、人類を対象とした民族の歴史の場合には、彼らが歴史を記述することに関心を払う程度にも左右される。
以後は、「後世に認識された歴史」を対象とする。
歴史認識
「後世に認識された歴史」は、客観性に対する疑念から免れない。
考古学的発掘や遺跡などを分析して得られた断片的な情報から対象の歴史を構築しようとしても、その取捨選択の過程で主観的な視点が加わることは否定できず、結果はある種の解釈や、時として願望または思い込みが紛れ込む可能性がある。
「歴史記述」についても、全貌を漏れなく記述することは不可能で、執筆者の知見や価値観、または時代的背景、執筆者の力量などの制約が加わり、それらフィルターを通じた事象に偏ってしまい、真実がゆがんでしまう。これをE・H・カーは著書『歴史とは何か』で指摘している。
日本を例に取っても、政治体制の変化による教科書記述内容の書き換え、また現代の周辺国家との見解の不一致などがある。陳舜臣は「歴史は勝者によって書かれる」と述べ、特に正史では勝者に有利な記述が行われる傾向にあるため、敗者の歴史記述や秘匿された文書、または正史でも勝者に不利なものや反省を含んで記述された箇所の方が比較的信頼に足ると言及している。
<転載、以上>
このように、歴史という概念を考えてみると、教科書で習った歴史とは、教科書を編集した人間が著述した歴史にしか過ぎなかったことが解ります。著述されなかった内容、著述の表現の仕方などで全く異なった歴史が存在することが解ります。時代とともに教科書の編さんされかたも変わり、習った年代ごとに異なる歴史を学んできたという事実も見えてきます。
こんな時に生まれる疑問は、「習わなかったが、本当に学ぶべき歴史とは他にあったのではないか」というものです。教科書が時の教育に関係する歴史学者の学ばせたかった、時の政府(文部科学省や政権を担っていた人々)が学ばせたかった歴史とするなら、「それ以外の知の巨人たちが語った歴史とは別にあるのではないか」という疑問です。
この項目は、こうした疑問から、始まりました。
当然、教科書に書いてあった「歴史」、授業で教えられた「歴史」がそれでしょう。
「歴史認識」などという表現もならったかもしれません。
まず、最初にWikipediaで「歴史」とは何を意味するかを調べてみます。
以下にその基礎的な概念をご紹介します。
<Wikipediaより転載>
歴史の意味
「歴史」とは、少なくとも二つの意味を有している。一つは、現実に存在する「もの」が変遷する様そのものを言い換えて「歴史」と定義するものである。しかしその経緯は保存されることは無く、やがて消える。もう一つの「歴史」の意味は、この消え行く変遷を対象化して記述・記録された結果を指し、「歴史記述」と言うことができる。
記述・記録される、または複数残した何らかの経時的事象を分析・系列化して初めて「歴史」を構築する。ある少数民族が文字または別な手段の歴史記述を残さず、しかも史料をただひとつしか示さなかったとすれば、彼らが現実に存在し「歴史」を刻んでも、後世の文明にとって存在の歴史はあると推測できても、歴史の変遷を知ることは出来ない。それどころか痕跡を残さなかったものは、その存在さえ無かったも同然である。
このように後世に認識できる「歴史」とは、少なくとも認識可能な出来事の断片が残存していることが必要な条件となる。
これには濃淡があり、対象・時代・地域などが影響し、人類を対象とした民族の歴史の場合には、彼らが歴史を記述することに関心を払う程度にも左右される。
以後は、「後世に認識された歴史」を対象とする。
歴史認識
「後世に認識された歴史」は、客観性に対する疑念から免れない。
考古学的発掘や遺跡などを分析して得られた断片的な情報から対象の歴史を構築しようとしても、その取捨選択の過程で主観的な視点が加わることは否定できず、結果はある種の解釈や、時として願望または思い込みが紛れ込む可能性がある。
「歴史記述」についても、全貌を漏れなく記述することは不可能で、執筆者の知見や価値観、または時代的背景、執筆者の力量などの制約が加わり、それらフィルターを通じた事象に偏ってしまい、真実がゆがんでしまう。これをE・H・カーは著書『歴史とは何か』で指摘している。
日本を例に取っても、政治体制の変化による教科書記述内容の書き換え、また現代の周辺国家との見解の不一致などがある。陳舜臣は「歴史は勝者によって書かれる」と述べ、特に正史では勝者に有利な記述が行われる傾向にあるため、敗者の歴史記述や秘匿された文書、または正史でも勝者に不利なものや反省を含んで記述された箇所の方が比較的信頼に足ると言及している。
<転載、以上>
このように、歴史という概念を考えてみると、教科書で習った歴史とは、教科書を編集した人間が著述した歴史にしか過ぎなかったことが解ります。著述されなかった内容、著述の表現の仕方などで全く異なった歴史が存在することが解ります。時代とともに教科書の編さんされかたも変わり、習った年代ごとに異なる歴史を学んできたという事実も見えてきます。
こんな時に生まれる疑問は、「習わなかったが、本当に学ぶべき歴史とは他にあったのではないか」というものです。教科書が時の教育に関係する歴史学者の学ばせたかった、時の政府(文部科学省や政権を担っていた人々)が学ばせたかった歴史とするなら、「それ以外の知の巨人たちが語った歴史とは別にあるのではないか」という疑問です。
この項目は、こうした疑問から、始まりました。
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