トップ  >  明治以降の桜草と日本文化  >  東京の桜草  >  港区麻布  >  戦前昭和年代の麻布の崖に生育した「桜草」
昭和十二年(関東大震災前)に発表された岡本かの子の小説「金魚繚乱」にこの麻布に生育する遅咲きの「桜草」の記述があります。

<「金魚繚乱」より、転載>

緑から見るこの谷窪の新緑は今が盛りだった。木の葉ともいへない華やかさで、梢は新緑を基調とした紅茶系統からやや紫がかった若葉の五色の染め分けを振り捌いている。それが風に揺らぐと、反射で滑らかな崖の赤土の表面が金屏風のように閃く。五六丈も高い崖の傾斜のところどころに霧島つつじが咲いている。

崖の根を固めている一帯の竹藪からじめじめした草叢があって、遅咲きの桜草や早咲きの金蓮花(れんげ)が、小さい流れの岸まで、、まだらに咲いている。小流れは谷窪から湧く自然の水で、復一のような金魚飼育商にとっては、第一に拠りどころとなるものだった。


<転載、以上>

崖の上の屋敷の令嬢と崖下の金魚の品種改良に取り組む青年が主人公のこの小説に登場する桜草は、案外同時に登場する「霧島つづじ」などからも、崖上のお屋敷で育てた園芸種の「桜草」や「霧島つつじ」が崖下の池まであった庭園が狭くなり、取り残されたものだったのではないかという想像も働く。

麻布の屋敷で「桜草」を愛好、愛培していた大名や名士を後日、探してみたい。
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