トップ  >  さくらそう園芸の萌芽  >  茶花、立花としての桜草  >  津田宗及(天王寺屋)の茶会に見られる「桜草」 その4:「茶会のもてなし」
さて、もう一度、茶会の部分を見てみましょう。


床二細口 桜草 生而圓盆
風炉 高キウハ口の釜 小板 芋頭
手水之間ニ 置
床ニ船子絵 手水之間ニかけ
花ヲイケ申候
籠ヨリ善好茶碗 金ノ合子

さくらそう会会報で森富夫さんの解説を見てみましょう。

この会では、初めに床(トコ)に細口の花入を円盆にすえて、それに桜草を生け、風炉に姥口(ウバグチ)の釜をかけて小板にのせ、芋頭(イモガシラ)の水指を置合せました。そして初座を終って手洗の間に花入をとり、床に船子絵(センスエ)をかけ、善好茶碗、カネの合子(ゴウスー水コボシ)を使って茶を点てました。

さらにそれぞれの茶道具の解説が続きます。

ここに出る船子絵は当時最も著名な掛軸の一つで、牧谿筆といわれ、虚堂禅師の賛があり、父の宗達から子の宗及に伝えられ、この後宗及から秀吉に献上されましたが、大阪落城と共に焼失しました。又同時に使用された善好茶碗は、名物茶碗で、大富善好が所持していたので、この名があり、後に宗及に伝えられたもので、会記によれは、宗及は当時、船子絵と共に、この茶碗を連日使用しております。

このように見てくると、特別なことは無いように感じられます。この時期に主人である宗及が気に入っていた道具を使って茶を点てたことがわかるだけです。ただ、ここでも船子絵は、宗及から「秀吉」に献上された掛軸ということを知るとなんとなく「秀吉」の影を感じられるようです。

また、活けられた「桜草」については、森氏は、
時代からみて、野生のサクラソウでしょう。
と説明されています。
こうして見てくるとなんということのない「もてなし」のようなのですが、実際には、もてなし方というのは、他のもてなしと比較してはじめて、その意味が見えてくるようです。この三月四日のもてなしもこの日の前後のもてなしとの比較が重要となってくるのです。
使われた茶道具については、この日特に使われた道具が気になります。
森氏が語られているように「船子絵」と「善好茶碗」は、この頃よく使われていたとして、それ以外にこの日特に使われた茶道具に着目する必要がありそうです。
つまり、この日、活けられた「桜草」と準備された「高き姥口の釜」と「芋頭(水指)」ということになります。

さて、いよいよ、これらを前提に目をこの日の前後に向けるときが来たようです。
その茶会に同席するのはもちろんですが、前日に訪れた客からの話を次の席の客に繋ぐということも頻繁に行われていたようです。
あからさまに同席するのでなく、主人にそれとなく繋いでもらうことでより、外からは見えないような裏での複雑な関係づくり、情報交換を可能にしていたのが、茶会という空間だったのです。
次章では、この日の前後を見てみます。
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